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ゴーグのパリ時代

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印象派時代 福島繁太郎著 光文社 昭和18年の続きです。

ゴーグ パリ時代

 筆触は印象派風に分割され、更にスウラーに影響されて点描となったが、スウラーの点描のごとき時間のかかかる描法は性急なる彼の性質と相容れない。斑点は延びて平行の線となった。
 かくのごとき画風の急激なる変化は絵画史上稀に見る所、彼の極端から極端へと急変する異常な性格を物語っている。
 彼の性格は假介で圭角(けいかく 円満でない性格)が多く、弟テオドールの外は家族との折り合いも兎角(とにかく)面白く行かず友人関係も少なかったが、芸術上では偏狭ではなかった。印象派の人々、ことにセザンヌには深い尊敬を払っていた。同時代の人々においても、夢のような詩を絵画に織り込むゴーギャンには常に憧憬を持っていた。それは結局失敗に終わったが、その詩を自分の絵画にも取り入得ようと試みさえした。スウラーの点描についてはその技法をとりいれたほどであるが、すうらーの芸術自体についてもすくなからぬ敬意を払っていた。彼はその書簡において次の如くのべている。
「スウラーの作品が田舎の美術館や穴蔵のなかに葬られているのを見るのはあまりに痛ましいことである」と。
 また彼は自分の頑固な田園主義とは対照的なロートレックにも尊敬を持っていた。
「自分の農夫の絵は君の持っているロートレックの絵と並べてまったく釣り合いがうまくとれるだろうということを信ずる....云々」
と書簡にのべているが、パリ時代には相当に交友関係があったらしく、ロートレックはモンマルトルのアトリエで、ゴーグの肖像を制作している。圭角が多く絵画に熱狂的であったゴーグが、「....それが誰であろうともー彼らが()令点描派であれ、あるいは他の傾向のものであれー何らかの長所があれば、それが自己の所信と反対のものであろうとも彼らを排除する代わりに、尊敬と同情とをもって見なければならない」
とその書簡に述べているのは作家の言葉というよりもむしろ公正な鑑賞家の態度で一寸不思議のように思われるが、かってマイエル・グレフェが「危く作家となるよりも鑑賞家たたらんとしたと評したほど深くかつ広い鑑識眼をそなえていたことを思い合わせば、肯かれることである。かかる態度は青年時代に美術商の店員をしていたので、広く鑑賞する習慣ができたために養われたものかもしれない。

***

「...それが誰であろうともー彼らが()令点描派であれ、あるいは他の傾向のものであれーなんらかの長所があれば、それが自己の所信と反対のものであろうともも彼らを排除する代わりに、尊敬と同情とを以て見なければならない」

この言葉は 今でも多くの画家たちに勇気を与えるに違いない。しかし当時も今もそれぞれの派があって その主張のために 闘うだけではなく 排除する代わりに尊敬と同情とをもって見なければならないといっている。
こういうことを云うその時代の背景はどのようなものだったのだろう。今はこの件に関して どんな風によくなっているのだろう。いろんな作品に対する鑑賞眼はどんなたちばにあってもひろくて豊かであるに越したことはない。なんちゃって 

ゴッホは 何事においてもどうでもいい人ではなさそうです。家族との意見の食い違いなど まあまあではすまされなかったのでしょう。世間や家族とのおりあいはうまくいかなかったようですが、テオとの強い絆があったということは 幸いでした。
美術商の店員経験も 役に立ってるんですね。いい例もわるい例も見聞きしたに違いないでしょう。そして多くの絵と画家たちにに出会ってるはずです。

スウラーの作品が田舎の美術館や穴蔵のなかに葬られているのは痛ましいといっています。

さいならさいなら

《 2015.12.24 Thu  _  1ぺーじ 》