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他人の絵 自分の絵

コレクション瀧口修造 みすず書房 1991の続きです。
クレーの次は どこを読んでみようかと 見て行きますと 読んでみたい所が 結構あります。今度は瀧口さんのことを「他人の絵、自分の絵」というのがありましたので そこを読んでみましょうか。

他人の絵、自分の絵

 今年は明るい景気の年だという。
 そうはいってみても、すこしも筆者の身につかぬ言葉のようだ。1960年代に一歩ふみ入ったといえば、何かしら感慨がないこともない。しかしここで今年の美術界は、などと他人の占いめいたことをいうのは、私としては具合いのわるい仕儀(しぎ ありさま)になっているのである。すこし手前勝手なことを言わせてもらえば、近ごろふと「他人の絵ばかりどうしてそう気になるのだ。自分の絵をどうするんだ」という自嘲とも怒りともつかぬ考えが浮かんできて困るのである(もちろん。私は画家ではないが)。確かにこれは私自身がみずから追いやった窮地であるかもしれない。もしそうであれば私は即刻に美術文筆業をやめなければならないはずだ。引っ込みの着かない事を新年早々書いてしまったが、今さら消すわけにはゆかない。どっちみちばかげた自分の声をただ自分だけの妄想にすぎないのかどうかを確かめねばならないのだが、私はこれをその一年の宿題として、つまり一年の起訴猶予をおきたいと思う。しかしこんな私ごとをつい書く気になったのは、この奇異な質問が生意気にもどこか警句じみていて、案外いたるところで、それなりに意味が生じて来るように思えるからである。美術批評家ばかりではなく、それは美術館にも、あらゆる選考委員会にも、美術の国際交流にも、収集家にも、いや芸術家自身にさえもである。
 これがそもそも「他人の絵」といわれるだろうか。
 年頭所感のようになってしまったが、去年のことに返ろう。11月末の本紙に書いたフォートリエについての記事のなかで、かれのいわゆる「複数原作」について聞きただしたところ、それは重大な問題だから日を改めて話したいと語ったことを書いたが、以下はその後日報告である。フォートリエは約束の時間を忘れず、その話に長時間をさいてくれた。一体原作がいくつも存在し、同じ傑作がいたるところにあることになると、絵画の革命であろう。現に一つだけの傑作で生活しているフォートリエにとっては逆説的な考え方である。ところがかれは数年前にニューヨークでこの複数原作の展覧会を催したが、一枚しか売れなかったという。またかれの作品(一つだけの)を買いにきた一紳士は当時三十万フランという価格を高すぎるといって買わず、そばにあった百分の一の価格の「複数原作」は今度は安すぎたので買わずに帰ってしまったといって、フォートリエは笑った。しかしかれはこの試みをいつかまた実行したいといった。そこで私は「あなたはこんどのヴェニスのビエンナーレでグラン・プリをとるにちがいないが、そうなるとまた絵が高くなってますます実行しにくくなるのではないか」というと、「いや、絵がピカソのように何千万フランになったときに決行してこそ意味がある」とたいへんな気焔(きえん 盛んな意気)である。「そのときには私はあなたの絵を買いましょう』と大笑いになったが、批評家はいろんなことに興味をもつものだ。果たしてかれがどんな技法でその「複数原作」をつくったのだろうか。しかしこの質問は幾度も逃げられた。「それは技術の問題ではない!画家はそれぞれ自分の技術でやればよい」と。まったくその通り。事実、版画(複製でない)も、印刷によるグラフィック・デザインでさえも、一種の「複数原画」であるにもかかわらず、そのことが容易に認識されていないではないか。

***

「複数原画」フォートリエという画家は アンチテーゼ(あってますか?)をやってのけようとしているのでしょうか。
いったい一枚きりの名作が それを描いた芸術家の作品の価値が高いほど 収集家たちはどんなに大金を出しても手に入れたいと思いますね。
ところが名作が何枚も会場に並んでいたら そしてそれ相当の金額であれば 人はどう動くのか フォートリエはみてみたいと思ったのですね。この人にとったら 面白い試みであり ピカソの作品のように値打ちがあればあるほどこの試みは面白いというわけなんでしょうね。こんな芸術家とはなしをする瀧口さんはワクワクするでしょうね。

美術品の値打ちは 金額に換算される訳ですが それは驚くようなものです。それは一枚しかないということからくるのか 人間のやることは不思議ともいえませんか?
芸術は感じるものである とか 感動だとか その上にのっかているものだとは これは
いちど 確かめてみたくなるのは やはりフォートリエさん あなたでしょう。

「ところがかれは数年前にニューヨークでこの複数原作の展覧会を催したが、一枚しか売れなかったという。またかれの作品(一つだけの)を買いにきた一紳士は当時三十万フランという価格を高すぎるといって買わず、そばにあった百分の一の価格の「複数原作」はこんどは安すぎたので買わずに帰ってしまったといって、フォートリエは笑った」

ところで瀧口さん フォートリエさんはどんな絵を描く人でしたっけ?

さいならさいなら
《 2015.12.18 Fri  _  1ぺーじ 》