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ピカソとその周辺

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『ピカソとその周辺』フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳の続きです。
写真はAndre Villersによるヴァロリス、マドーラ工房で 1953年です。

リュウ・デ・ボア

 さて、ピカソやその他の連中と一緒にパリーにかえる帰ることにしょう。
 丁度この頃はマックス・ジャコブが特殊な評判を得ようとしている時だった。トランプ占い、手相、予言などをやっていた。彼の新しい気まぐれだ!彼は真にうけられていたのか?彼は真面目だったのか?私としては、どうしてもマックスの真面目さを認める訳には
いかなかった。要するにそれは彼の新しい道楽だった。それに迷信が混ざったのだ。彼は色々なことを相談された。彼はそれに克明に答えた。幸福になるために身につけておかなければならなかった石や色や金属の選択。彼は私たちの星を占い、気づかいや希望で汗をかいた私たちの手相を見てくれた。彼の最も忠実な客の一人のポアレが、ネクタイや靴下の色を選択する時、手引きをしてやった。そうすれば彼の運が開けるはずだった。かれは私たちにお守りをつくってくれた。私たちの生まれた日によって私たちの運命を司る星も違う訳だが、それぞれの星に従って、羊皮紙、銀、銅、鉄に刻んだ、重さも色々あるお守りをくれた。これらのお守りは唐草模様が飾られたり、不思議な記号や幾何模様やマックス・ジャコブ式の奇妙な文字が彫りつけてあった。なぜなら、これらの文字は彼の自称ヘブライ学から得たものではなく、彼の単なる空想から生まれたものであることは確かである。そして私たちはそれを紛失したり、人に見せたりして、自分の幸福を失ったり、取り逃がしたりしないようにと、それぞれのお守りを人目を憚って(はばかって)後生大事に身につけていた。私はマックスがくれた生の赤銅の重い板金を、長い間財布のなかに入れていた。
 私たちには、その時からずっとえたいの知れない一種の迷信がのこっていて、あの愉しい時代の思い出のために、私たちは今でもそれを捨てきれないでいる。
 一番御弊かつぎだったポワレは、トランプを見ると、その一枚をめくって見ないではおかなかったのを、私は覚えている。それがクラブかハートだと、かれは一日中機嫌が良く、スペードが出よう物なら、災難だった。
 その後彼の装飾品店「マルティーヌ」の売子たちは、彼を機嫌よくするために、トランプの札を卓上に拡げて、そのうちからハートかクラブだけを表向きにしておいたほどである。

***

マックス・ジャコブのかなり手の込んだ占いは オリヴィエなんかはあやしいなあとうたぐりつつも 御幣かつぎをしていたんですね。
これを読んでいますとね こういったことに一喜一憂するわれわれとは よほどこの世の中で つなわたりのような生活をしている気分なんですよね。
ピカソがけっこうこういうことを信じてたということを 何かで読んだことがあって こういうところからなのかと 思いました。マックス・ジャコブはナチスによって殺されてしまったんですよね。
それらのものは みんなにとってはマックス・ジャコブの思い出になってしまった

さいならさいなら


《 2015.12.07 Mon  _  1ぺーじ 》