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おたより

しーちゃんからのおたよりです。


 長い間 おたよりできずに ごめんなさいね。
移動図書をを利用して『ガラスのうさぎ』借りて一気に読みました。
久しぶりです。この本はあなたの家の本箱に(大阪時代?)有ったものです。
読みかけたわりには内容はちっとも憶えてなくて でも気になる本だった
のです。(そのころあなたの家にいった時 一冊は読んで帰る事にしていたのです。)
勝手にね。
 身につまされてというのもわたしの家は(島根県 美保関)さんざんな目にあって
いるのです。 
 終戦の年の7月23日に空襲にあって 家半分がペシャンコこになりました。
母の里の方から見た人がY屋がペシャンコになってると騒いだので 母の兄が飛んで来て
「末子元気か?」「元気だけん」で帰って行ったそうです。
はるさんの(しーちゃんのおばあさん 母の姉)親は「おはは(はるさんのこと)元気かいね」と言って そこにペチャペチャと座り込んで 腰が抜けてしまっているのに
はるばあさんは 母親のおいしばあさんに向かって「あぶないから早や帰れ」と叫んでいたということです。(すぐ近くなのです)
 その時の事を母は 一人芝居をするように熱を込めて私に話して聞かせました。
 とにかく 皆元気だったけど その日から 寝る所もなく 一人一人が間借りをしたと
いうわけです。 2・5トン爆弾が落ちたのだけど 爆発しなかったので助かったと云っていました。 一発は山の上の方で爆発して 石の雨が降ったといいます。
私の家で跳躍した爆弾は信管(しんかん 弾丸の爆薬を爆発させるための起爆装置)が飛んだので 爆発しなかったそうなんです。

 その後終戦になり2日後 父は帰ってきて 「負けた」と云ったら 近所のおばあさん
が「しいちゃんの(しげるさん しーちゃんのお父さん)せいだないけんね」と慰めて
くれたと母が云っていました。 帰った父はまた兵隊に戻ったり 混乱の中 終戦になったそうです。

***

しーちゃん おたよりの続き読みましたよ。まだまだあるんですがね。
住む家が 半分ペッシャンコになって 住むことができなくなって 間借りしたんですね。 みんながおおさわぎしてるようすが目に浮かびます。
そこにはわたしのおばあちゃんがでてくるし 母の姉さんや いとこのしげるさんも出てきますね。
書きながら 「しーちゃんのお母さんはまつこさんだけど 松子じゃなく末子さんなんですね」こんなたいへんな話の時に変な事を思い出すものですね。わたしの母が鶴子でしーちゃんのお母さんが松子とすぐ思ったのは どんなもんでしょう(笑)
戦時中うちの母は 神戸大空襲で焼けだされました。 神戸は空襲で危ないから 美保関に私の兄(乳飲み子)をあずかってもらったんですね。そこも危なくなってきたんですね。 焼夷弾が赤ん坊の床下を通り抜けたんだとか。母からよく聞きました。

『ガラスのうさぎ』はどなたの作品でしたっけ?家の本棚にあったのに 忘れてしまっています。今もそうですが 本棚にはいっぱい本があります。 大阪時代 しーちゃんは私たち一家のところに(しーちゃんも関西に住んでいました) シュークリームをもって遊びにきてくれましたね。 みんなしーちゃんが大好きでした。その ある一日に『ガラスのうさぎ』を見つけたんですね。
そちらでは移動図書館というのがあるんですね。車でくるんですか?

おとうさんのしげるさんは 「負けた」といったのね。わたしは戦争なんかあってほしくないと思うけど この「負けた」はじーんときました。戦争すると負けたくないんですよね。きっと。そして「しいちゃんのせいだないけんね」と近所のおばあさんが慰めてくれたんですね。

つづきはこんどね




《 2015.12.14 Mon  _  おたより 》