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ピカソとその周辺

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『ピカソとその周辺』フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳 1964

ピカソとジャクリーヌの出会いの場 ヴァロリスのマドゥーラ工房で Andre Villers写真

メドラノ曲芸場

 才気だけが総ての代りをしているに違いないこの仲間では、気晴らしの種類は極く少なかった。 みんなが行くメドラノ曲芸場。ピカソやブラックやドランのような一部の連中の見る拳闘。相手をとっちめるために、「ふん!それじゃピカソの処へモデルに行きな!」と言ったあの女のしたような面白い即答。ある日ピカソが、当時ゲイテ・モンパルナスだったとかボビノだったかに出演していた俳優のオランに、その幕切れに花の冠を尿瓶に入れて贈ったなどという、時折見かけられたかなり悪趣味な冗談。マックスの小唄。これらのことを別にすれば、毎晩似たりよったりのことが繰りかえされていた。私たちは習慣で遅くなってから寝に就いた。ピカソはずっと前から夜中に制作することはやめていたが、余り早くは起きなかった。

***

「才気だけが総ての代りをしているに違いないこの仲間では、気晴らしの種類は極く少なかった」
そのひとつがメドラノ曲芸場だったのですね。拳闘。
「ふん!それじゃピカソの処へモデルに行きな!」相手をとっちめるために あの女のしたような面白い即答。どういう意味?なんてじっと考えちゃいけないんですよね。
最初の頃 昼間は仲間が来て仕事にならなかったので夜仕事をしてたということだったんですが今はやってないと。絵が売れ出すと まわりに人いようが 自信がついて 自由に描くようになったんですかね。

このころ一人でパリで絵を描いていた人っているのかしら。わいわいがやがやピカソの周辺はいつもにぎわっています。悪ふざけもあってね

さいならさいなら

《 2015.12.14 Mon  _  1ぺーじ 》