who am ?I

PAGE TOP

  • 12
  • 23

ブロンテ姉妹

スキャン1275.jpeg
『ブロンテ姉妹』その知らざれる実像を求めて 中岡洋 NHK
これは「ジェーン・エア」のカバーです。

女性の臺頭

 ヴィクトリア朝社会の変容のなかで、健気にも勝利をもぎ取ったのは女性の社会進出であったといえよう。貧富の差が増大するなかで、社会の多様化と相俟って、女性の生活も複雑多様化していった。社会の底辺で呻吟する(しんぎん)都市労働者の妻、工場で働く女性、小作農の妻、相つぐ出産で健康を害した妻、中産階級の軽薄な女性、上流の自尊心の強い婦人たちが共時的に存在していた。なかには女性医師をはじめ、真剣に社会問題と取り組む真摯な知識階級の女性もいた。この時代ほど千差万別の女性が共存していた時代はなかったのである。しかしながらこれが一気に女性すべての地位の向上に直結したとはかぎらない。
 1850年のブルーマー女史(1818−1894)が独特のパンタロン型のズボンで女性の活動範囲を広げるかに見えたが、ヴィクトリア女王をはじめとする保守的な女性勢力は侮り(あなどり)がたく牢乎であり(ろうこ)、19世紀前半に比べてむしろ女性解放の意識は後退したように思われる。大半の女性は相変わらず家父長制に縛りつけられ、社会的地位の向上もおぼつかなく、社会的束縛から解放されるということはなかった。女性解放の最後の敵は女性自身であったのかもしれない。

***

1850年のブルーマー女史 あのブルーマーはこの女性の名前から来たのかなと 思ったり。 女性の地位向上というのは いまでも その国によってちがいがありますね。アウサンスーチーさん ミャンマーの民主化に取り組んでいる女性です。 その長い年月の
なかで イギリス人の夫 そして2人の子供とのイギリスとミャンマーでの離ればなれのくらし。政府は彼女を自宅での軟禁生活をしいたのです。 選挙をすることでさえ なかなかすすまない。ノーベル平和賞をもらっても 彼女はそのミャンマーの自宅でラジオを聞く他なかった。 大統領よりアウンサンスーチーの票の方がうわまわっても体制側は動こうとはしなかった。夫が死にかけていても イギリスに会いに行けば 2度とミャンマーの地は踏めない。この映画を見た時 なにを私は思ったのかなあ。
ドストエフスキーの小説を翻訳した女性スヴェトラーナ・ガイヤー このみじかいあいだに私は2人の女性の映画を見ました。 彼女等のレベルの高さ崇高さは 私の外で 遠くにあることはたしかなんですが。

そうそう今日は1850年頃のイギリス女性の活動範囲についての話でしたね。
ブルーマー女史は 女性の活動範囲を広げようとしましたが ヴィクトリア女王をはじめとする 保守的な女性たちの勢力は侮(あなど)り難く女性解放の意識は19世紀前半に比べて後退したと思われました。女性解放の最後の敵は女性自身であったのかもしれない。そんなことが書いてあります。

ひじをついて 考えているところです。 ファースト・ペンギンこんなことばが今回の朝ドラで出てきましたよね

さいならさいなら



 

《 2015.12.23 Wed  _  1ぺーじ 》