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ドビュッシー

『音楽と文化』河上徹太郎 創元社 昭和13年の続きです。

ドビュッシー

 彼が従来の唯理的な音楽美のマンネリズムから逃れて、かかる大胆な新鮮さの世界に到達したのは、そこにこの時代の各芸術の精神と大いに交流するドビュッシーの優れた知性を認めねばならないのである。すなわち彼の作品が当時の絵画における印象主義、文学における象徴主義とに外見的にも非常に似ていること、並に彼の優れた知性と洗練された感性と豊富な教養とが生んだ超俗的な完成さ、この二つが彼の作品を従来の音楽家の作品からはっきり区別させるものがあるのである。
 ドッビュッシーの生涯を通じて特に私などの注目を惹く事実は、彼が詩人ステファン・マラルメのサロンに出入りしていたことである。当時マラルメは象徴派の殿将(トップ)で、厳正無比な瞑想と作詞に従事していた。そしてそのサロンは真に芸術を愛し、また後年最も優れた知性の人名を挙げた有為の青年のみが入るを許された殿堂である。
ここでは毎週木曜日に定連が集っておおいに芸術を談じた。その顔ぶれはマラルメをはじめ詩人ヴィエレ・グリファン、アンリ・ド・レニエ、ピエル・ルイス、それに現代フランス文壇の大御所であるポオル・ヴァレリー、アンドレ・ジイド、また変わり種としては画家のホイッスラーや、酔っぱらいの詩人ヴェルレエヌなどもいた。そういうなかで音楽家はドビュッシーただひとりであった。この栄光と幸運は利口なドビュッシーの逃さなかったところで、ここで従来感じていた教養の不足を補ったのみならず、主としてピエル・ルイスにつき従って、彼の過酷なまでに厳正な古典主義の教育におおいに身を鍛えた。

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いやあ 学問してるようで 読んでみると書き方がむずかしいだけで そうむずかしいことじゃないのですよ。しかしこの煮しめたような古いこの本 とりかかるときは ちょっとね。昭和13年ですからね。
ドビュッシーという人は 画家や 詩人 作家たちの当時一流の人たちと 語り合い教えをこうているわけだったんですね。そんななかで 音楽家はドビュッシー唯一人だったので いろんなことが学べたんですね。
絵画では印象主義 文学では象徴主義に 彼の作品は通じるところがあるんですね。おやピエル・ルイスからは古典主義も学んでますよ。こんだけ教養を身につけたら こわいもんなしですね。
やっぱりあれですね 違った分野の人たちと話をするのは ドビュッシーにとってとても栄養になったんですね。
ええっと ドビュッシーはどんな顔してたっけ?Rosemary Brownで見てみよっと。ふむ

さいならさいなら
《 2015.11.29 Sun  _  1ぺーじ 》