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「色彩の冒険者たち』中山公男

このあいだまでは「青」についてでしたね 
今回は「緑」 色彩のことを教えてもらうのも 興味深いものですね 

 緑
 イギリスの画家たちは、ときとして異常な色彩のロマンを展開する。
ターナーの色彩の幻想は、ベーコンにうけつがれたといえるかもしれない。
もともと、緑は、多くの色彩のなかでも比較的現実指示性の強い色彩だろう。
緑といえば樹木、そして草、野原や山、こうした連想は、人類の歴史とともに
つちかわれ、積み上げられ、固定化してきたものだ。ところが、ベーコンは、
同じ緑によって全く別な世界を指し示す。彼の緑は、現実界の密林よりも強く
私たちを閉じこめ、包みこみ、方向間を失わせてしまう。
 フォンタナの世界も同様である。その緑は現実の森とはまったく別な、
ボードレールのいうあの「象徴の森」である。クレーは、私たちの目の前に、
深海の美しさを明るく照らし出してくれたが、ベーコンやフォンタナたちは、
魂のなかにある森の真青な木かげをみせてくれるのだ。

***

「現実界の密林よりも強く私たちを閉じこめ、包みこみ、方向性を失わせてしまう」
このことばのなかに うれしい 不思議なものを 感じて いつかきっと 「そう
そうだね」と思えるときがくると いいな。

ボードレールは「象徴の森」ということばをつかっています。これはわかります。

はなしはきっとおおきくかわって あっているかどうかもわかりませんが 原節子さん
の好きだったところは 演技ということではなく その人がぐんとまえにでているとい
うことだと 書いてありました。これどういうことなんですかね。フォンタナはどっち
なんでしょ それとも まったく違う話なのかしら こういうことも きっと何かの時に
わかるといいな。

「魂のなかにある森の真青な木かげをみせてくれるのだ」

 そういうわけで きょうはフォンタナの「作品1954」をじっとみていようかな

さいならさいなら
《 2015.11.27 Fri  _  1ぺーじ 》