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クレー

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コレクション 瀧口修造 みすず書房 1991の続きです。
「動物園」各種の材料は世界名画全集 パウル・クレー 人と芸術 土方定一 平凡社
昭和37年 この画集は魅力ありますね。


幻想画家論 クレー

 1924年12月、ウァイマールの自由主義的な政治が後退し、バウハウスはついに閉鎖された。この反動に対してハウプトマン、ヴェルフェル、ココシュカといった外部の文化人たちまでが立って抗議したが効果がなかった。しかし翌25年の春にはデッサウ市で開催されることになり、しかも近代建築の新校舎がグロピウスの設計で建てられ、教課内容も建築とデザインの要素が強調されるようになった。
 デッサウ時代はバウハウス活動の頂点であり、クレーも総合的な工房のなかでさまざまな実験をこころみ、絵画の領域をいちじるしくひろめた。「構成」ということが新しいバウハウスの合言葉となり、クレーも建築的な構成をモティーフとして多くの作品を描いたが、かれはバウハウスの趣意書に「構成はすべてではない、直観もまた重要な要素である」と敢えて書いたように、空間認識と内部直観との結合がかれの芸術の究極であった。この時代の作品として注目されるモザイクに似た点描手法なども、線を用いず色彩だけによる空間表現のこころみであったが、彼の意図は色彩の空間的な機能をいかに人間化するかにかかっていた。クレーはデッサウ時代に休暇を利用してイタリアやブルターニュなどに小旅行をこころみたが、1928年から翌年にかけてのエジプト旅行はかってのテュニス以来の深い感化をもたらした。

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「1924年ウァイマールの自由主義的な政治が後退し」
クレーはウァイマールの時代に自分の作品をかいていたのですね。
1924年の絵は「悪魔につかれた少女」「俳優の仮面」「かたつむり」などちょっと異ような感じもする作品もありますが 1929年の「双生の場所」などは これはどういう意味合いの作品なんだろう とその時代背景を考えながら見てみます。
バウハウスが閉鎖され 病気にもなり 作品はだめになっていくんじゃないかと思いますが そうじゃないんですよね。 

彼はバウハウスの趣意書に「構成はすべてではない、直観もまた重要な要素である」と敢えて書いたように、空間認識と内部直観との結合がかれの芸術の究極であった。とありますね。
カラスがないていて風が音を立てています。(関係ないですよね) 「空間認識と内部直観」なんかむずかしいことを私は理解しようとしてますねえ。でもこのことがわかれば 「空間認識と内部直観」 こういう画家たちの 作品のなかに 私は 少しは入って行けそうな気がします。

さいならさいなら

《 2015.11.24 Tue  _  1ぺーじ 》