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ドビュシー

『音楽と文化』河上徹太郎著 創元社 昭和13年の続きです。

ドビュッシー

 ドビュシーが1902年、メエテルリンクの「ペレアスとメリサンド」に基づいてオペラを書いて出現したときは、実際フランスの楽界はその全然清新な楽風の出現に驚異したのであった。それは今までの音楽の概念と全く異なった新しい次元を音楽の世界に開拓したのであった。喩えていえば、今まで空間の世界にのみ成り立っていた音楽に時間的要素がはいったとか、色彩と広がりとだけ持っていた音楽の世界へ匂いだの触覚だのがはいってきたとかいっていいのである。次にあげるのは夭折したジャック・リヴィエールの思い出の一節である。

 ベアレスが現れた時、17から20までの年頃で丁度その初演を聴いた青年たちにとって、この曲がどんなものであったかは、恐らく人々の想像以上のものがあるだろう。われわれは自分を取り巻く倦怠から逃れて、この素晴らしい世界、この親しい天国に遊んだものだ。一週間中、学校にいる時はこの曲について語り合い、これを聴けるのを待ちこがれていた。その時の愛と尊敬はいかばかりであったろう。それは我々の束縛された世界における慰めであった。そして日曜が来ると、我々はマチネーでしか聴けなかったから、またもやこの音の国に遊んでその不思議な三次元の世界の恍惚感に浸るのであった。
わたしはまったく比喩抜きでいうのだが、ペアレスは我々にとって、何処かの森であり、何処かの国であり、何処かの海の岸にある露台であった。そして人知れぬ扉を見つけて、我々はそのところに逃れ、それとともに一切の世界は我々に採って消滅するのであった。
ところで一体作品が家に蔵している魅惑の力というものは、いつまでも同じように感じられるものであろうか?私は、そのうちにただ賞賛のみをもってこの曲を聴くようになる人々の仲間入りはしたくないものだ。

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ドビュシーの「ベアレスとメリサンド」がどのようなものであったのか 「喩えていえば、いままで空間の世界にのみ成り立っていた音楽に時間的要素が入ったとか、色彩と広がりとだけ持っていた音楽の世界へ匂いだの触覚だのが入ってきたとかいっていいのである」とあります。音楽のことを勉強中の私はこういうことは どんな感じなんだろうと思います。想像してみましょうか。みなさんもどうです?

「天国に遊ぶ」 「束縛された世界に於ける慰めであった」「不思議な三次元の世界の恍惚感にひたる」「ベアレスは何処かの森であり 何処かの国であり 何処かの海の岸にある露台」「そして人知れぬ扉を見つけて、我々はそのところに逃れ、それとともに一切の世界は我々にとって消滅するのである」
とたいへんな熱狂ぶりのようですが これは17から20頃までの熱狂と河上さんは言いたげです。

ドビュシーはと...若者にもてたやろなー、これ読んでると。ドビュシーのCDをさがしてみようかな

さいならさいなら
《 2015.11.11 Wed  _  1ぺーじ 》