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ブロンテ姉妹

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『ブロンテ姉妹』その知られざる実像を求めて 中岡洋著 NHK

 パトリックの二回目の恋愛は先ほどの初恋話より確かなものである。パトリックがケンブリッジを卒業して、ウエザーズフィールドの助任司祭として赴任したことはすでに述べたが、彼は教会の前の通りを挟んで正面にあるセント・ジョージ・ハウスに下宿していた。そこの女主人は当時七十歳くらいのミス・デイヴィという人で、その姪のメアリ・ミルドレッド・デイヴィ・バーダー(1789?ー1866)こそパトリックの二回目の恋愛相手である。
(ああここで これはすでに書いたところだと気がつく私でした!)
消すのはもったいないので これはのこしたままで いきましょう(笑)

パトリックとマリアの出会い

 パトリックが次に転任したウエリントンこそ、のちのブロント家の運命を決定的に導いた場所であった。ウエリントンには、ヨークシャーの工場増加に伴う労働人口の急激な増加に対応して、福音主義運動を展開する情熱をもった若い聖職者を送り出そうとする母体があった。そこでパトリックはウイリアム・モーガン師(1782−1858)と知りあい、親友となった。モーガン師はマリアのいとこジェイン・フェネル(1791−1827)とすでに婚約していた。こうした縁によりパトリックはモーガン師からマリアを紹介された。パトリックはマリアに出会うと、急速に恋に堕ちていった。彼はすでに三十四歳、マリアは二十九歳になっていた。パトリックが正式にフェネル家に出入りするようになるとすぐに恋愛感情が沸き起こったらしい。驚いたことに、マリアのパトリックに宛てた恋文が現在でも残っている。パトリックが大事にとっておいたものであり、その後(1850年2月16日 土)、父親パトリックからその手紙を手渡されたシャーロットは、自分の精神がうまれてきた源を読んで深く感動したと書き残しているのである。
 最初の手紙(1812年8月26日付 水)から、お互いに燃え上がりやすいケルト的情熱にたちまち火がついたことが窺える。実際、彼女自身があまりの速さで婚約したことに自ら驚いたのである。

***

ケルト人は発火しやすいんだ(笑)。
わからないうちに このパトリックさんとマリアさんの恋愛に付いていきますと なんか自分も話の中に入っていくようで 面白いですね。マリアは29歳、その時代ですとかなり出遅れています。パトリックだって3度目の恋愛。いいかげん一緒になってもええのかもしれません。ところがそこは 大事にしないと。どんな話になっていくんでしょう。

イングランドの地図を見てみましょう。ヨークシャーありましたね。リヴァプールの隣です。

さいならさいなら あ つぎは「マリアの恋文」です


《 2015.11.13 Fri  _  1ぺーじ 》