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ピカソとその周辺

『ピカソとその周辺』フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳の続きです。

ポール・ポアレと純粋芸術

 「パリ・ジュルナール社」に確か勤めていたサルモンは、丁度その頃彼の第一詩集を出版した。彼もほとんど毎日のようにピカソを訪ねてきていた。
 ジュランも毎日五時か六時頃に、友人のジャノーをつれて遊びにきた。彼は戸を叩いて、名のりをあげるのだった。「ジャノー、ジュラン。」
 ブリヤンと親交のあったジャノーは、彼に深い尊敬を払っていた。ジャノーは事細かにこの大政治家の私生活にまでわたって、私たちの好奇心を呼び起こしながら彼の話をして聞かせたが、残念なことに私はその細かい話を忘れてしまった。
 ジュランの今や消えてしまった懐かしい面影! 彼の大きな鼻、探るような眼、おおきな帽子、額に撫で付けた髪の下の悲しげな顔付、沈黙。判断しているようだったが、自分の判断を口に出さず、そして待っていたのだ.....。


***

サルモン、ジュラン、ジャノー、ブリアンこの人たちはどんな人やったですかねえ。わたしは20世紀の出来事や人名ののってる大きな辞書を 持っているんですが いっこうに見つかりません。この分厚い中で 登場するのは 誰でも知ってる人ですね。ピカソとかマリー・ローランサンとか。 その点パソコンは見つかりそうでっせ。ゆっくりみつけるか そのまま通り過ぎるか。
しかしその頃 ピカソを訪ねる人は多いですね。 ピカソの周辺は本当ににぎわっています。 これは オリヴィエがまたよかったんじゃないかな。 ピカソはその後 有名になり 相手もいろいろ変わり ここらへんが一番 利害関係が少ないし よかったんじゃないでしょうかね。
こういう人たちの中にはその後迫害にあうユダヤ人達もいたと思いますが その人達は アメリカに逃げられたか アウシュビッツに連れ去られたか。どうなったんでしょうね。第二次大戦後 芸術の拠点はアメリカに移って行きますが それはそうしたユダヤ人の画商関係の人たちのアメリカ移動が関係するんですかね?

さいならさいなら
《 2015.10.09 Fri  _  1ぺーじ 》