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ドビュッシー

『音楽と文化』河上徹太郎著 創元社 昭和13年の続きです。

ドビュッシー 

 本当のことをいうと、いかなる芸術にあっても20世紀になってからの流派を上げて論じることは危険なことである。それは近代には歴史がないという一般原則の外に、20世紀初頭の4半世紀というものは、どう考えても革命と建設の時代ではなく、したがって一つの確固たる指導原理を持った流派というものは存在し得ないからである。しかも時勢が進展するに必要なだけの革命は確かに存在した。しかしその革命は、その結果として人々が新しい時代を建設するよりもむしろ破壊を楽しみ、再建の理論を弄ぶ

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あ!ここはこのまえ打ちました しまった。
落ち着いて 今日の文をはじめましょう あほやなあ

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 しかもこのデカダンスはいかなる楽派にも時間的に必然に来る衰頽(すいたい)とともに、この楽派の傾向の本質にともなう一微侯でもあったのだ。すなわちヘンデルに源泉を発するこの楽派は、それ以前の多音音楽、声楽的音楽に対する複音音楽、楽器的音楽の本質をきわめ、和声の論理的に精妙な身動きのならないソフィスティケーションに達したのである。
 この行き詰まりに対して新鮮な音楽の風を通じたのは、史的に厳密にいって誰であるか、それを規定することは未だ困難である。だいたいにおいて、それが北方の民族的な歌と、南方の知的な精神であることは、結果的にいえる。すなわちロシアの国民楽派とフランスの近代楽派である。このうち前者のロシア国民楽派はむしろドイツ浪漫楽派の直系であって、音楽理論の上ではその影響を強く受けている。しかしながらその血液の中にある溌剌とした民族の旋律が、作品の生命を強く盛り上がらせているので、新しい流派の勃興の形を一先ずとっている。

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音楽にもそのときどきでデカダンスがやってくるのですね。デカダンスとは 知らんかったら意味ないですよね 廃れることかな。
この本は一人の音楽家を描くとき はじめのあたりが ややこしいというか 知らん漢字などがでてきたりして この本を選んでしまったことを 非常にくやむのです。まさにいまがそういうところです。しんぼうできるやろか。
デカダンスのあとには何がきたのか。 北方のロシアの国民楽派とフランスの近代楽派なんですね。 ロシア国民楽派はドイツ浪漫楽派の影響を受けていると。 リストのいたところやな。 この楽派結構強力ちがうかなあ あの世からでも 更なる発展を 音楽の意味を訴えかけてるんだから。(突然すみません) 社交的で親切で世話好きで そんなリストがいて。などとRosemary  Brownのあの本をことを思い浮かべています。

芸術は音楽でも 絵でも 勃興と衰頽をくりかえして現代にやってきてるんですね。

さいならさいなら
《 2015.10.08 Thu  _  1ぺーじ 》