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おたより

Fさんからの8月20日のおたよりです。

 最近、高橋源一郎さんの文章が好きで読むことが多いです。
彼の叔父にあたる人は「この戦争は無意味だ」と言って出征しましたが、戦時中フィリピンの方の島で飢えて戦死しました。高橋さんは「戦争はいけない」というまっとうすぎる正論を言う人がずっと苦手でしたから、叔父のことは知っていても、フィリピンへ行こうとは全く思わなかった。やっと今年になって、フィリピンへ行き、叔父の亡くなったであろう場所へ行き、そこでしばらく佇んでいたそうです。そこは日本の山の風景に似ていたといいます。その時、叔父はきっと死ぬ間際に日本の未来、戦争のない日本を思い描いていたのではないか、と高橋さんは思います。「それは70年後の現在のことだ。戦争のない現在を叔父は思ったにちがいない。たとえそれがどんなに貧しい現在であったとしても」、と。
高橋さんは書いています。現在は過去があってこその現在、過去からずっと続いてきてるから現在がある。何十年後かの未来も現在からつながっていく。過去を考えることは未来を考えることとまったく無縁ではなく、現在も過去の人の声で満ちている。未来にも現在の人の声がずっと届いていく。
上手く言えてるかなあ。のりこさんの文章は私の中で、高橋さんの言うことに重なります。

「未来のことがわからないように、過去のことも、未来のこととまるでシーソーしているみたいなんです....シーソーのまわりには、青空やら、鳥が飛んでおりましたり、かすみがありましたり、どうやらそこには景色のようなものが現れそうなんです」

 うわあ、これはもう詩になってる。

ではでは

「老人と若者」というタイトルのことを書くのを忘れていました。でもたいした話じゃありません。40代後半の頃、私は天啓のように気がつきました。「あ、そうか。20代前半までの若者は40代以降の人のことを自分たちと同じ人類とは思っていない」。私も若い頃そうだった。そう思うと周囲の若い人のことに妙に合点がいきました。それだけの話。

***

Fさん おたよりありがとうございます。
これは自分がどこらへんで書いたのか 思い出したいなあ。
ところで高橋源一郎さんはラジオにテレビでよくお目にかかりますねえ。話がとてもいいですねえ。このかたのおじさんはフィリピンで餓死されたのですね。「戦争は無意味だ」といって出征された。なんかすごいことばを遺して出征されたんですね。
高橋さんは「戦争は行けない」ちょっと間違ってしまったですけどこれもいいですね。「戦争はいけない」というまっとうすぎる正論を言う人がずっと苦手だったんですね。
そこが 聞いてみたいところ。

高橋さんはフィリピンに行かれて おじさんが亡くなったであろう場所に佇んでいると「叔父は死ぬ間際に日本の未来、戦争のない日本を思い描いていたのではないか」と。その場所に佇んでみて そう思われた高橋さん。長い年月の後 その場所の景色はどうだったのかしら。

海底に 大きな戦艦が沈んでる映像を見せられたとき そこは魚が行き来し もがゆれている。だけどそれはたしかに船体です。その時の惨事と現在。
「未来のことがわからないように、過去のことも、未来のこととまるでシーソーしてるみたいなんです....シーソーのまわりには、青空やら、鳥が飛んでおりましたり、かすみがありましたり、どうやらそこには景色のようなものが現れそうなんです」

わたしたちは過去のほうが多くなってきてるんでしょうかね
人の命は 重い とはいいますけど 

《 2015.10.04 Sun  _  おたより 》