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1ぺーじ

『ピカソとその周辺』フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳の続きです。

 (アポリネールは)マックス・デローに侮辱されたので、懲罰を加えたかったのだ。事実、ある宴会の席上、このジャーナリストは、あえて「アポリネール主義」に意義を唱えたが、しかもじろじろとギョームの方を見ながらそれを皮肉な調子で言ったので、これは懲罰に値すると、ギョームは言うのだった。
 アポリネールの威勢のよさは、全く表面だけのものだった。しかし彼はまた自分の偉さに慢心していた。そしてこれが彼の虚勢を包んでいた。マックス・ジャコブにとっては、いつも目を覚ましたままで見ている彼の夢を求める気持ちからすれば、それは一つの好餌に違いなかったが、彼は確かにアポリネールを多少恐れてもいた。彼は「副介添人」の役を引き受けた。
 ピカソはその事件を、当然そう考えるべきように、冗談だと思った。喧嘩好きで知られたジャン・ド・ミティは調停が成立しないことを望みながら、責任をもって調停することを引き受けた。
 もし決闘が行われなかったとしても、それは彼のお陰ではなくて、どちらも闘うことを望まない二人の仇同士のお陰だったのである。ことは総て、友詮的に解決された。しかし副介添人マックスの出費表ときては!......アポリネールを憤慨させたけれども、しまいには彼も面白がった。
 その出費の見積というのは次の通りである。
 第一日 御前9時 副介添人のコーヒー代 ◯・1◯フラン
     午前10時 マッチ一箱(家に忘れてきた副介添人用)◯・1◯
     午前11時 菓子パン(昼食が遅れそうなので介添人用)◯・◯5
     正午 新聞一部(待ちあきた介添人用)◯・◯5
     午後5時 副介添人が介添人へ食前酒を出す 1・2◯
 第二日 就中、介添人が「敵」を懐柔(うまいこということをきかせる)するため、食前酒を出す、等々。

 総額はわずかにせよ、こうして出された二枚の出費表を見て、ギョームはさらに決闘すれば自分が受けるであろう金銭上の危険のことを考えた。
 彼はもう決して決闘などはしなかった。
 しかし和解の交渉中、アポリネールはピカソの家でかなり心配そうにその結果を待っていたが、それは相互の謝罪で終わりをつげた。
 アポリネールは次第にピカソの家で、少なくとも一日に一度は食事をする習慣になった。そのころピカソは自宅で食事をしていた。
 マックス・ジャコブはとても貧乏していたが、相変わらず控え目で、招かれた時でなければ食事時間には姿を現さなかった。
 かれはすでにとても隠遁的な、寂しい生活を送っていた。ラヴィニャン街の暗い、神秘的な小部屋に閉じこもって、全く人工的な幸福のうちに生活していた。
 そうした生活は、かえって彼が仕事をする妨げにはならなかった。
 酒や麻痺剤など、すべての彼の若気の過ちといったものが、彼に霊感を与えなかっただろうか? そうしたものが、彼の最大の魅力のひとつであるあの特異の感受性を、自由に表現できた曲折の多い道に彼を導かなかったろうか?
 優柔不断と内気とが不安な芸術と結びついて、かれを()とした近代の希有の人物にしているのである。彼が私たちにそのエッセイを読んで聞かせたとき、彼のお手のものの幻想が躍動させている、あの豊かな詩想に私たちは魅惑され、驚歎させられたものだ。
 彼は繊細な、気の利いた、とくに極めて頭脳的な水彩画を書き始めていたが、それを彼の手近にあった色々な物を使って丹念に制作していた。石油ランプの曇ったほやから、指先で少しとった油煙だの、彼が飲んだばかりのコーヒー茶碗に残ったどろどろしたコーヒーのかすだの、卓上に置き忘れた本の上から容易にかき集められた埃だの、等々....。
 マックスは何という面白い人だったろう!長らく彼の顔を見ないではいられなかった。そして彼に幾らかお金が入った日には、いつでも彼の方から花束やボンボンを持ってやって来るのだった。

***

これは 人差し指が 労働条件が悪いと抗議しましたので とりあえずここで。
アポリネールもいいですが マックス・ジャコブ この人が魅力ありそうですね。

さいならさいなら
《 2015.09.30 Wed  _  1ぺーじ 》