who am ?I

PAGE TOP

  • 09
  • 28

クレー

スキャン1081.jpeg

コレクション 瀧口修造の続きです。

幻想画家論 クレー

 クレーは音楽会はよく聴き、モツアルトへの熱愛は一層深まったが、現代音楽への趣味がこの時代から眼覚めはじめ、1909年にはドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」を「ワーグナー以来の最も美しいオペラ」と讃えているし、1913年にシェーンベルク
の「ピエロ・リュネール」を聴いたあと、「裂けよ、ふくれたシャツよ、お前の葬い鐘が鳴りひびく」と詩のような感想を書きとめている。また1912年からクレーの交友は詩人や文学者たちにも及んだ。
シュテファン・ゲオルゲの友人カルル・ウォルクスケールのサロンでカロッサに会っているし、芸術愛好家プロプストに連れられて詩人のリルケも彼のアトリエを訪ねている。クレーとリルケとの関係は両者の研究者にとって極めて興味深いものであろうが、具体的な記録といえば、1919年の春にこの二人が同じ番地に住んでいたのを知ったとニーデンドルフがその著書に書いているのと、リルケのメルリーヌへのフランス語の手紙(1920年2月23日付、1950年刊)にクレーについてふれていること以外に筆者は知らない。さらに読書家のクレーがリルケを読んでいなかったか、もし読んでいたとすればどんな印象をあたえられたかなどについてグローマンは何もつたえていない。クレーの無口のためであろうか。リルケの手紙によればかなりの交渉があったらしいが、すくなくともこの詩人にとってクレーの芸術はよからあしかれ「不安なもの」であったことが想像されるのである。

***

クレーは音楽会はよく聞いていたらしいですが、モツアルト、ついで現代音楽のドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」を讃えていますね。ええとドビュッシー、こんなときはまるで辞書のようにRosemary Brownの本を開けてみます。ドビュッシー(1862−1918)フランスの作曲家。機能よりも響きの感覚を重視した。.....比較的自由で斬新なリズムなどによって、それまでになかった微妙な雰囲気と色彩感に満ちた音楽を生み出した。

なあるほど 「色彩感に満ちた」というところがクレーには魅力があったんでしょうか。
詩人のリルケとも交流があったんですね。
音楽や詩に関心があっても 日記をつけていても クレーはその人のことをあんまりしゃべっていないそうですね。どうしてだろうという前に 自分はそんなとき交流があった人の名前をあまり書かないかも モツアルトやドビュッシーは書くと思う。そんなことを考えてみるのも おもしろいかも。1909年ー1912年頃の話ですね。

全く別の話ですが、人間の血液型が発見されたのは1901年だそうです。1904年日露戦争。 クレーってもっと今に近い芸術家だと思っていました。絵がそうおもわせるんですよね。

さいならさいなら 
《 2015.09.28 Mon  _  1ぺーじ 》