who am ?I

PAGE TOP

  • 09
  • 08

1ぺーじ

スキャン1016.jpeg
『コレクション』滝口修造著 みすず書房1991年の続きです。

クレー

 い910年から1906年にふたたびミュヘンに落ちつくまでのベルン時代は、クレーにとって基礎形成の時期であった。そのあいだかれはエッチングに熱中し、極度に細かい点線を集積したような、むしろ窮屈な筆触でグロテスクな人物を象徴的に描いている(「樹のなかの処女」「翼ある英雄」「コメディアン」など)。クレーはこの版画に自信をもっていたらしく、友人に送って買ってもらうことを頼んでいるし、またそれでポートフォリをつくって、ミュヘンにいたリリーに送り、旧師のシュトックに見てもらったり、「セツェッション」展にも出品したりしている。これが陰気なベルンの生活から脱け出す契機となったが、かれは決してこの小成功に安んじていなかった。「たれも気付かないかも知れぬが、私のエッチングの欠点は絵画的に構成されているとはいえ、エピグラム的な説明に落ちていることだ。それは純粋な絵画と純粋な素描とが結合しており、それぞれが自分としては避けられない苦しい集中力で追求されている。....
現在の私は絵画を版画(グラフィック・アート)から独立させ、その両者を発展させようと努力している。絵画の方は印象主義に向かっているが、版画はまた独自の道を辿ろうとしている。とにかく私のエッチングはあまりにも多くを企てすぎる若い時代の欠点をもっているわけだ」と鋭い自己批判を向けている。

***

1901年から1906年 ミュヘンに落ちついたクレーは「基礎形成の時期」だったんですね。基礎ってなんだろう? 私のつぶやきはこっちにおいといて。1906年に妻「リリー」を水彩で描いてます。あのころ彼が自信を持っていた絵は版画で本当にグロテスクな絵です。でもだれにもかけないような絵であることは確かです。

「クレーの日記」南原実訳によると こういうところがあります。1969年大阪市美術館で「パウルクレー展」があった時のカタログ画集のなかの文です。

樹上の処女

「樹上の処女」はクレーのさいしょに成功したエッチングである。クレーは1903年7月の日記で次のように解説している。
「線は、技術的な進歩を点、時と場合によって様々な太さをみせる。まず樹の輪郭を削り腐食させる。そのあと、木をモデリングし、人間の体の輪郭をとる。さらに、体とつがいの鳥をモデリングする。
動物(つがいの鳥)は、自然をあらわし、雄と雌。女は処女であることがなにか特別なことと思い、つんとしているが、女らしい魅力などない。ブルジョワ社会の批判」ブルジョワ社会は安易な生活を求めて、自然をないがしろにする。 ブルジョワ社会は既成の権威によって乙にすましこんでいる。クレーはそれを女をとおして辛辣に批判する。骨ばったて、たれさがった乳房、そして希望も期待もいだかぬ顔ー彼女は今に枝だからずり落ちそうな風情だ。
一方、自然を象徴する二羽の鳥は愛を語らっている。細密な描写。
クレーはいつだってもっとも小さな世界から出発する。小枝、小鳥。彼はいう。「この小さな、小さな自我」。

エピグラム的な説明に落ちているところが 欠点だといっているようですが 「樹上の処女」の絵など 説明を読んだら 疲れてきますね。
「小さな小さな自我」どんなんを小さな自我っていうんやろ 今考えてるところ

さいならさいなら
《 2015.09.08 Tue  _  1ぺーじ 》