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1ぺーじ

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『コレクション 瀧口修造』みすず書房 1991の続きです。

クレー

 かくてイタリア遍歴を終えたクレーは1902年5月にベルンに帰った。かれは口髭を生やしてともだちをおどろかせたが、絵の仕事はまだ変わっていなかった。しかしその頃にじぶんの仕事の方向に重大な自覚をもつにいたっている。
「私はまず人々の期待を裏切らなければならない。私は利口な人間がなんの苦もなく成し遂げるようなことを期待されるだろう。しかし私は才能とか能力が変えているというよりは、自分の誠意がハンディキャップになっているということで慰められるのだ。おそかれはやかれ私は確かなものに到達するだろうとは思う。ただ仮説からでなく、どんなささやかなものでも特殊な例証からはじめなければならぬのだ。私にとって、小さなものから始めることが非常にたいせつなのである。がそれはやはりハンディキャップではあろう。私はヨーロッパのことは絶対に何も知らない。生まれたばかりのみどり児のごとくでありたい。事実や流行を無視して、ほとんど原始人のようでありたい。そして何か非常に謙虚な仕事をしたい。自分のちからで、ほんの小さな、つまり私の鉛筆がなんの技術もなしに包むことのできるような、形のモティーフを完成したいのである。......
私に理解される限りでは、絵画は私の生活のすべてをみたすようになるだろう.....それは意志よりも運命の問題である」と日記に書いている。

***

「ほとんど原始人のようでありたい」

「私は利口な人間がなんの苦もなくなし遂げるようなことを期待されるだろう。
しかし私は才能とか能力が欠けているというよりは、自分の誠意がハンディキャップになっているということで慰められるのだ」

「自分のちからで、ほんの小さな、つまり私の鉛筆がなんの技術もなしにつつむことのできるような、形のモティーフを完成したいのである」

こんな言葉で どういうことをクレーは言っているのか ゆっくり考えてみるのですが 
「レオナルドダヴィンチの描いた絵は 複雑で 高い技術力で 人は容易にはそのような絵は描けないと思うかも知れない。しかしぼくがこれから描こうとするものは 何の苦もなく描けるであろうと人は 思うかも知れない。それはぼくのハンディキャップになるにちがいない。それは自分の誠意からきており 自分はそれでなぐさめられるはずだ」

これが私のない頭での解釈 どうかなあ

さいならさいなら




《 2015.09.01 Tue  _  1ぺーじ 》