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1ぺーじ

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『コレクション 滝口修造』1991年 みすず書房の続きです。


クレー

 1898年の十月、クレーはミュヒェンのアカデミーに留学し、エルウィン・クニル、フランツ・シュットクにつき、またジーグラーのもとでエッチングの技術を習った。裸体のクロッキーは熱心につづけ、、風景や挿絵の絵も描いた。1901年には形の研究のため彫刻の教室にも入っている。このミュヘンの美術学校時代の3年間は「ユーゲント・シュティル」(フランスのいわゆる「アールヌーボー様式」)のさかんだったころで、かれもこの世紀末様式の影響を受けた事はいうまでもない。しかし日記や手紙では絵画よりもむしろ音楽に多くふれていて、ワーグナーやリィヒャルト・シュトラウスにも惹かれたが、モツアルトを最も愛した。またこの期間に幾人かの女性と交渉があったようであるが、1899年から1900年へかけてのシーズンのある音楽会でミュヒェンの医師の娘リリー・シュトゥンプを知り、1902年に婚約し、1906年9月15日にベルンで結婚することになる。

***

上の作品は1935年−1940年の作品)。1月12日、父の死。5月10日、オルソリナ(ロカルノ)の療養所に入る。6月8日、ムラルト=ロカルノのサン・タグネーズ病院へ移る。6月29日、心臓麻痺で死ぬ。

さて こんなときに描かれたこの作品でしょうか。この作品をクレーはベッドの中でかいたのかしら。
今結婚したばかりという「1ページ」ですが 私が選んだ上にある絵は晩年の作品です。この1本1本の線が5年間の間に描かれたということが(そうなんですか?)この製作期間の長さはそれが病気のせいか この線や全体のバランスが わたしが考えてるより 重要な意味を持っているのか考えてみようとしているところです。
わたしは線や全体のバランスなどにしっかり考えをめぐらせたことがありません。自然に調和を結果的に取ろうとしていたりはあると思いますが 意識的にその重要性に目を向けるのは 芸術論であり 芸術家のなかには ピカソやセザンヌやクレーなどそういうこともやってきた人なんでしょう。いまごろ気がついたのかって? テンネンもンとがくじゅつもん このがくじゅつもん 奥が深いんやと

さいならさいなら

《 2015.08.18 Tue  _  1ぺーじ 》