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1ぺーじ

『音楽と文化』川上徹太郎著 創元社 昭和13年の続きです。


モツアルト

モツアルト一家の家計は常に貧しかった。彼の度々の演奏旅行も労作も、父親の熱望を裏切って、決してその窮況を救うに足りなかった。そしてその貧乏は彼の一生を通じて彼を苦しめ通したのである。1777年の九月にモツアルトは、よりよい地位を求めて母と共にザルツブルグを出発し、ミュンヘン、アゥグスブルブを経てマンハイムに行った。しかしまだ若くて有名でなかった彼は、そのどこでも適当な地位が得られなかった。ミュンヘンでそこのオペラのために作曲して収入を得ようと考えたモツアルトは、次のように父親に書き送っている。

 僕一人で暮らしていいなら、不可能なことはないでしょう。ゼエオウ伯爵(ミュヘン劇
場主事)から少なくも三百フロリンはもらえるでしょうから。始終人に招待されますし、さもない時はアルバートが喜んで彼の食卓で食べさせてくれますから、食費の方は大した問題ではありません。僕は小食で水を飲みます。そして寝る前に果物とワインを一杯飲むだけです。......
 
 こういう金の苦労から彼は死ぬまでほとんど一刻もま脱がれることができなかったといってもいい。
 アウグスブルグでは若い彼の従妹ベズレと軽い恋愛をした。大体夢想家で純真な彼は惚れっぽかったので、この程度の恋愛は始終していたのだが、それは少なくとも外観上はいつも快活な冗談に包まれていて、前後を忘れて燃え上がるようなことはなかった。ベズレとの間には子供っぽい、生き生きとした軽口と冗談に満ちた手紙が残されている。

 親愛なるベズレ。あなたは僕がくたばって野たれ死にしてしまったかと思ってやしませんか。そんな事考えるのはやめてください。死んでいたならこんな立派な手紙が書けますか?できっこないでしょう。どうしてこんなに長い間お便りしなかったかについては、何もいいわけはしません。どうせ信じないでしょうから。だけど本当の事はやっぱり本当なのです。僕はとても忙しかったのです。ベズレのことを考えるくらいの暇はあったが、手紙を書く時間はなかったのであきらめていたのです。ところで今はあなたにお尋ねする光栄を有しています。ご機嫌いかがですか?いかがお暮らしですか?便通がよくありますか?水泡が少し出来てやしませんか?まだ僕を少しばかり悲しませるようなことがおありですか?白墨でよく書き物をしていますか?時には僕のことを考えていますか?ときにはくびをくくりたくありませんか?あなたは笑っていますね!万歳!あなたがきっといつまでも僕にたてつくことは出来ないだろうと思っていました。そうですとも。僕には確信がありましたよ。

***

ところでモツアルトは忙しかったのですね。忙しいわりにはこの一家は貧しい。あの頃はなにかの職についてそれなりの役職にならないと お金にならなかったのでしょうか。モツアルトたちはそうなってなって かせげるようになるまで 交通費はかさむし 大変だったんですね。お父さんだって いまでいうステージパパだったのでしょうか。ひとりの天才をかせげるようにするまでは。はなやかに見えたこうした世界はでしたが。
モツアルトは自分ひとりだったらどうにでもなるんだけど といっていますが どうだったんでしょう。水とくだものとワインじゃお母さんも心配ですよね。

さて従妹ベズレとの恋愛ですが この手紙面白いですね。いまごろの子でもいいそうな言葉。「野たれ死に」とか「便通がよくありますか?」とか「時には首をくくりたくはありませんか?」とか。若い子のいいそうなことがいっぱい。「便通」はいわないか。
神童時代をへて十代後半の思春期は中途半端な時期だったんですかね。

さいならさいなら


《 2015.07.08 Wed  _  ちまたの芸術論 》