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『ピカソとその周辺』フェルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳の続きです。


ルソーとピカソ

 素朴で、善良で、弱気な彼は、人の役に立つためならどんなにあぶなっかしい相談にものってやったものだ。とりわけその一つなどは、危うく彼を軽犯罪裁判所に渡すところだった。
 私はその頃彼に会ったが、彼は自分にどんな災難がふりかかっているのかまるで解っていなかった。彼は不徳漢たちの玩弄物にされていたのだ。
 二度結婚した彼は亡妻の不憫な思い出を持っていた。彼女たちの一人のために、1910年頃のアンデパンダンに出品した絵を描きさえした。手を取り合った男女が庭にいる。空には、幸福そうに微笑を浮かべている二人の頭上高く、小さな翼を生やした亡き夫婦が二人を見守っている。
 彼が童話の挿絵を描かなかったのは、なんという残念なことだろう!彼には子供たちの
気持ちがよく解っていただろうに!
 一枚の画布にギョーム・アポリネールとマリー・ローランサンとを描いたあの肖像画のことを、私は覚えている。すらりとして、繊細なアポリネールに描かれていたが、実際は決してそうではなかった。がっしりして、太っているマリー・ローランサン、彼女はまだそんなになっていなかったのだが。
 私はある日その作品が仕上げられないので、彼がひどく困ってるのを見かけた。彼の考えでは、画面の下の方に花を並べて描くつもりだった。しかしアポリネールを象徴するには、彼は是非とも「石竹の花」(ウイエ・デュ・ポエート)が欲しかった。ところがこの花の季節ではなかった。この絵を完成するのに私は6ヶ月も待たねばならなかった。
 またある日のこと、昼飯が終わった頃、彼がやって来た時のことを思い出す。彼は悲しそうだった。彼は油であげた果物の菓子を食べながら私にすすんで打ち明け話をするのだったが、菓子にまぶした砂糖をポロポロこぼしていた。そのうちに彼は砂糖まみれになってしまい、私の牝犬が彼のズボンや上衣を丹念になめていたが、それでも彼は身動きもせずに、目に涙を浮かべて、泣き言を言い続けながら犬のすることを見守っていた。
 ルソーに、彼がかって抱いたこともない芸術上の思想を吹き込もうというのは間違いだった。彼には思想などはなかったのだ。私はそれをよく知っていた。「彼は見た通り」に、真面目に描いていただけなのである。彼の作品と、頼まれて写真を模写したものとの間に、彼が区別をつけていたとは考えられない。
 彼はその子供じみた頭脳に助けられて、その子供じみた眼で見ていたのだ。素朴で感受性の強い彼は、絵画の天分には非常に恵まれていた。原始的画家の持って生まれた才能だった。
 彼は理知的ではなかったと言っても、彼に悪いことをしたとは思わない。彼は恐らくそれ以上のものを持っていた独特の天分、一種の天才を持っていた。
 彼はピカソに言ったものだ。「ぼくたち二人はこの時代の最高の画家です。君は『エジプト式』の絵で、ぼくは近代的な絵で....」
 絵画にはあまりに多くの理知は必要ではない、と言う事を私は繰り返したい。多くの画家がその作品において、不明瞭であり、混乱しているのは、むしろ彼らがあまりに深刻ぶりたがるためではなかろうか?
 ピカソは利にたけた愛好家とか純な愛好家たちから、ちやほやされ、取り巻かれ始めていた。彼はすぐに彼らにあきてしまうのだった。お世辞を言われるのは好きだったにせよ、彼は生まれつきおおげさな言葉遣いはきらいだった。
 ある晩のこと、ラパン・ア・ジールで、彼はドイツ人の一群に歓待され、喝采され、ほめそやされたことがあった。一人きりになりたいという気持ちに急に襲われた。それは丘の上のテルトル広場にさしかかった時だった。彼は何時も肌身離さず携えていたピストルを突然取り出して、空中に向けて一発ぶっ放した。たちまち広場から人影が消えてしまった。蜘蛛の子を散らすように逃げ去ったドイツ人たちは、容易にもどっては来なかった。

***

ルソーのことをオリヴィエは

「彼はその子供じみた頭脳に助けられて、その子供じみた眼で見ていたのだ。素朴で、感受性の強い彼は、絵画の天分には非常に恵まれていた。原始的画家のもって生まれた才能だった。彼は理知的ではなかったと言っても、彼に悪いことをしたとは思わない。彼は恐らくそれ以上のものを持っていた独特の天分、一種の天才を持っていた。」

オリヴィエはどうにかして ルソーの才能のありかを言い当てようとしていますね。当時は ルソーの才能を 子供じみたものだととらえていたんですね。かたやルソーはどうです?こんな風に言っています。

「ぼくたち二人はこの時代の最高の画家です。君は『エジプト式』の絵で、ぼくは近代的な絵で.....]

ピカソはこんなとき ルソーにどんな対応をしていたんでしょうね。面白いなあ。

「ルソーを軽犯罪裁判所に渡すところだった」なんかあの頃事件があったんですよね。代名詞ばっかりでどうにもならないんですが ピカソも疑われたんじゃないですか?
これを読んでて思うんですが 売れ始めた画家たちは ほめられたりなにかと調子に乗りやすく出来ているようですが ピカソはしばらくすると 絵を描きたくなった。なによりも。はっと目が覚めてたんじゃないでしょうか。私が10代のときピカソの画集を見た時こんなことを思っていましたよ。ピカソは何よりも描くことが大事なんです。女がピカソの取り合いをしていても その中に入っておろおろしない。その冷たさはすごいなと。悪い奴だと思いましたよ。しかしもう一方の見方をすれば こういう人は騙されないんでしょうね。
ルソーは肖像画を引き受けていた つまり描き続けていたんですね。結果的に騙されなかったのは 絵に戻りたくなる人たちだったからかも と。それとルソーは ちょっとばかにされながらも まわりにはいい人もいたのかもしれない。オリヴィエはこのとき ルソーを助けようとしたのかしら?でもこうしてわれわれはルソーのような画家がいたことを嬉しい気持ちで思い出す事が出来ますね。

ピカソとルソーの話の間に アポリネールとマリー・ローランサンが出てきます。ちょとおややこしいですね。アポリネールはその二人の肖像画に「石竹の花」を入れたかった。ところがそれがない。ピカソがその肖像画を描いたんですよね。ややこしいわー マリー・ローランサンかと思った。
ま それはいいんですが アポリネールはオリヴィエに打ち明け話をしているうちに砂糖まみれになってしまったわけで なんか性格でてるなあ。その服についこぼれた砂糖をオリヴィエの飼い犬がなめてるシーンも 面白いですよね。オリヴィエはここらへんをうまく書いてて 読んでてあきさせませんよね。

ピカソのピストル事件もすごい。

売れはじめるととりまきがすごいんですね。どこの世界でもそうかも知れませんが ピカソは最初はそういう歓待にのってても いやになってくるんですね。 そういうものかもしれませんが。そういう中でのこのエピソードですね。絵描きは売れないと それこそえらい貧乏生活 売れたら売れたで 絵を描くこと以外に こういうことがある。なんや不安定な 人間的にも たいへんな仕事なんですね。いいころあいの状態は...

「2ついい事さてないものよ」

さいならさいなら
《 2015.07.05 Sun  _  ちまたの芸術論 》