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1ぺーじ

『音楽と文化』河上徹太郎著 創元社 昭和13年の続きです。


モツアルト

 次に引用するのは1770年彼が最初に父親とイタリー旅行をした時母と姉にあてた手紙である。

 神様のお恵みで僕はこの哀れなペンと共に達者でいます。お母様にも姉様にも千度づつ接吻します。姉様にローマがほんとに見せたい。きっと気に入るに違いないもの。ペテロ寺院も何もかもきちんとしています。今誰かが奇麗な花を持って通ったとお父様がいいました。
僕は馬鹿です。それはよく分かっていますが、僕にはたった一つ困った事があるのです。僕たちの部屋にはベッドが一つしかないのです。パパの側じゃ僕はちっとも落ち着いて寝られない。それはお母様よく分かってくださるでしょう。(1770年、ローマ発)



 懐かしいお母様、沢山書きたいのだけど、レシタティヴをあまり書いたので指が痛くて書けません。どうぞ僕のオペラが成功して(彼の最初のオペラ)、それから一緒に愉快に暮らせるようにお祈りしてください。母様の手に千度キスします。それから姉様ともお話しする事が沢山あります。だけど一体何を話しましょう?それは神様だけがご存知です。だから神様の思し召しさえあれば、もうじき思っている事がみなお話しできるようになります。だから今はキスを千度お送りしておきます。僕の好きな友だち連によろしく。あのひとのいいマルトも、もう亡くなったのですね。しかしあの人も神様のお恵みで今はいい所に行っているでしょう。(1770年、ミラノ発)

 この第一回のイタリー旅行で、モツアルトは宗教音楽家で厳格な作曲法の大家であったバドレ・マルティンを知り、そこで対位法を勉強する機会を得、同時にイタリー様式の大家によって新しい音楽の啓示を受けたのである。この手紙にも現れているように、彼は旅行中にも絶えず歌劇を始め各種の作曲を怠らなかったが、それは美しいながらもまだモツアルトの天才の真の姿は出ていなかった。かれは引き続き三回イタリー旅行をしているが、1773年にザルツブルグへ帰り、始めてやや落ち着いた四年間をそこで過ごした。
かれが十七才の時である。それまでの十六年間が諸謂神童時代であって、この過労な演奏旅行と勉強とで心身ともに疲れ果てていた。
 かくてこの四年間に休養と同時に彼の内的な生育が行われた。前述したハイドンの作品を本当に識り、その影響を受けたのもこの期間においてであった。当時ハイドンは円熟の境に達していたし、一方歌劇ではグルックが全盛期であった。かくして従来イタリー風の音楽の影響の下にあったモツアルトが、再びこれらの大家の作品を知ってドイツの器楽的形式にもどってきたのであった。ともあれ、彼はあらゆる影響を一度は通って来ることによって、無意識裡に脱皮が行われ、かつ作曲技術上の真の自由さを獲得したのであった。
その天才の溌剌たる活躍はその後に始まったのである。従って当時定評のある大家の大多数が彼にいくらかづつの影響を与える光栄を有していたといえる。一体モツアルトの音楽は、その豊富な天才の奔出からして容易に生み出されたかの如く考えられているが、彼自身「自分ほど作曲法の勉強をしたものはないし、自分が努力して研究しなかった大家の作品はほとんどない。」といっている。

***

モーツアルトと何故いわないの?などとちらっと思いながら この「1ぺーじ」は続いて行きます。
このモツアルトのお母さんやお姉さんに書いた手紙は お家に帰って家族でゆっくり食事をしたり話したいと思ってるのがよく出ていますね。友だちとも遊びたかったようですね。しかし そういうことをしていたんでは 天才モツアルトは生まれなかったわけですよね。
そして今 読んでいて モツアルトは作曲法とか猛烈に勉強してたんですね。「ともあれ、彼はあらゆる影響を一度は通って来ることによって、無意識裡に脱皮が行われ、かつ作曲技術上の真の自由さを獲得したのであった。」 わかりましたよ 絵でも音楽でも 一通りのことを勉強して ピカソになり モツアルトになる ってわけですよね。いえね自分がここに出てきてどーすんだということなんですが 「自由、自由!」とあっちにとびこっちに飛びしていた私は なんなの? という話です。が もう遅いよ(笑)学校に行って勉強するのは こういうふうになるためやで。 
演奏旅行しながらいろんな影響を受け 勉強もしたのが よかったのかも。「自分ほど作曲法の勉強をしたものはないし、自分が努力して研究しなかった大家の作品はほとんどない」モツアルトが言っていますね。

「こどもは簡単にまねしたらいけません」注意書きに書いておきますね。「親も この件に関しては注意深く 行うように」なんてこと よけいなお世話ですよね。

「どうぞ僕のオペラが成功して(彼の最初のオペラ)、それから一緒に愉快に暮らせるようにお祈りしてください」「僕にはたった一つ困った事があるのです。僕たちの部屋にはベッドが一つしかないのです。パパの側じゃ僕はちっとも落ち着いてねむられない。それはお母様はよく分かってくださるでしょう」

さいならさいなら
《 2015.07.02 Thu  _  ちまたの芸術論 》