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祖父の建てた家

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『花が咲いていた』故郷の思い出の続きです。


祖父の建てた家

この家は私の祖父(父方)が建てたものらしい。
しかし それは祖父が自ら金槌やのこぎりやかんなを使って建てた家ということだろうか? それとも祖父がお金を払って 大工さんに建ててもらったという意味だろうか?
私は父母が生きているときから ちらっとそういうことを考えたことがある。でもそう云う話はしなかった。それを聞くチャンスはいくらでもあったのに。
要するに 今のようにそのことに興味がなかったのだろう。 それがこうして聞いてみたいときにはもういない。それでも 一番上の兄がいるので さっそく聞いてみるつもりだ。

聞いてみたところが 「おじいちゃんは 兄弟の中では優秀だったんだよ。姫路中学出身なんだ。姫路中学といったら今でいう姫路西高でさあ。 お金もあったんだよ 家を建てるぐらいの・・・」ということだった。
「それって金槌とかのこぎりとかかんなを自分で持って建てたってこと?」私はくいさがってみたのだけど「そうだろ」ということだった。
「それで 大工さんといっしょに建てたんでしょ?」とどうも決定打が帰って来ないのでこう聞いた。「ああ いま病院の帰りなんだよ 夫婦でさ」「そりゃあなかのいいことで」とそんな話にすすんだ。

父は戦後 その家を ぺんきをぬったり 天窓を作ったり 何時も触っていた。 なんでも祖父は手先が器用で やることが丁寧だったそうだ。 その点 父は母から言わすと 「あらくたかった」。 そしてそれはこどもの私たちも十分認めるところとなった。

しかし そんな家は 私からすれば 「あらくたい」けど 気に入ることになる。
変な言い方だけど 私は 後に 父が死んでから そうなった。

そして病院帰りの途中の兄を 携帯電話で呼び止めて 執拗にその家の 「事実」を聞こうとしたわけで。 それでも はじめてのことは 姫路中学出身。 姫路まで出るということは よくわからないけど 頭が良かったということにしておこう。

私は 「建築家コルビュジュエの母のうち」じゃないけど 私が高校三年を卒業するまで住んだ家に値打ちをもたせたいのだろうか? どうやって?

それともだれもいなくなったあの家での 「窓辺の光るこけ」の物語を聞かせたいのだろうか?  たとえば家はそれぞれに 物語を持っていて それを語りたがっている奴もいるのではないかと。 それを私はしてる そういうことにしとこうかな。

つづくのです

《 2015.07.22 Wed  _  花が咲いていた 》