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1ぺーじ

『音楽と文化』河上徹太郎著 創元社 昭和13年の続きです。


モツアルト

 モツアルトはハイドンと同時代で且つこの二人がドイツの古典音楽を完成したわけだが、ハイドンがシンフォニー作家であるなら、モツアルトはオペラ作家である。この特徴は音楽史的に忘れることのできないものである。17世紀頃から西洋音楽の主流はイタリー・オペラが受け持っていたが、それをドイツ民族の手に奪い取った功績は、モツアルトに帰せねばならない。グルックがその前に出てオペラを書いたが、それはまだ真のドイツ・オペラとはいえないほどイタリーの影響の強いものであった。そこにモツアルトが出て、ハイドンのソナタ形式を平行する精神でもってオペラを書いた。特にドイツ語の歌詞による「魔笛」の成功は輝かしいものである。かくてドイツオペラの伝統はウエバーに伝わって、ここに民族精神の中で真に確立され、更にワグネルに渡って遂に本家のイタリーを脅かし影響するだけに発展したのである。「魔笛」についてワグネルはいっている。
「ドイツ人はこの作品の出現をいかに祝賀してもし切れないであろう。従来ドイツ歌劇というものは、いわば存在していなかった。この作品によってそれははじめて出現したのである。芸術のすべての高貴な花の精髄は、ここに一つの花に融合した。いかなる神のごとき魔法が、この作中の通俗的な歌謡より至高な讃歌に至るまで、モツアルトに霊感を吹き込んだのか!如何にこの作が多様であり、多面であることか!」
 これがモツアルトの芸術の真価というものであろう。ただし残念ながら我々にはこのワグネルの賛美は直接的には解らない。つまりイタリーオペラとモツアルトのオペラとの血液的な相違を身近に感じることができないし、大体我々はオペラらしいオペラをみていないからである。したがってオペラの示す真の興奮ーモツアルトがその第一日のイタリー旅行中に書いた手紙の中にある通り、「私は歌劇場に入るやいなや、じっとしていられないのです。」と言った興奮は我々には分からない。しかしながら我々はオペラの音符を読み、ピアノに書き換えたのを弾き、アリアを聞くことができる。そしてそれがシンフォニーやコンチェルトに劣らず立派な音楽だということを知っている。要するに我々はモツアルトの音楽を味わうことはできる。それで十分なのだ。
 モツアルトの音楽は絶えず新しい啓示を含んでいる。時に私はモツアルトを聞いていて限りない不安に襲われることがある。すべての音が予測を許さず、実に多面的な世界を次々に啓示されるので、こちらの感受性の落ち着く暇がないからである。そう云う音楽は全くモツアルトを除いて他にない。これこそ正しい意味で近代的な状態というものではあるまいか。
 モツアルトの音楽の中から、唯古典的な、ロココ趣味の典雅さを汲み取るのはやさしい。ただし彼の音楽は決してそんなお上品な、おっとりと()ったものではない。いかにも彼の音楽は女性的である。ただし女性的といっても何ものかをかを産み出す、粗暴でしかも精妙な意志を持った意志での女性的である。その創造性の激しさは、当然自分で自分の造るものを知らないくらいである。この天才の無意識の内に初めて我々は真の藝術的高揚を感じ、天上の声としての音楽を聴くことができるのである。

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ちょっと中断します。せっかく天上の声のことを想像してみようと思ってるのに あせるとよくないですからね。

さてと このほんが出版された昭和13年といえば1938年です。 日本は中国と戦争をしていました。 ヒットラーは1933年にドイツの首相になっています。 「17世紀ごろから西洋音楽の主流はイタリーオペラが受け持っていたが、それをドイツ民族の手に奪い取った功績は、モツアルトに帰せねばならない」なんてところ 今から考えればこの「ドイツ民族」という言葉が尖っているように感じてしまいます。その後におこる戦争のことを思って私が感じただけでしょうか。
ワグネルという言葉が出てきますが これはワグナーのことですよね。この違いはどこの言葉なんです ワグネルという発音は? それでも河上さんのこうした書き方は結構刺激的ですね。「ドイツ人はこの作品の出現をいかに祝賀してもし切れないであろう」ここだって「祝賀」という言葉となんか若者が戦争に送り出されるときの 旗を振っての「祝賀」が重なってしまいます。 いやがおうでも民族意識が高まるようで。 私はよく知らないのですが あのころヒットラーは絵画にしても音楽にしてもドイツ民族による伝統的なものを取り上げて 他のものを排除しようとしていましたよね。ワグネルやモツアルトはどういう風に考えていたんですかね? 日本だって戦争中だんだんそう云ったところが出てきますよね。 河上さんはそんな気持ちはなかったんでしょうが。
あ やだなあ 疑り深い私は。
モツアルトの音楽を味わわなきゃ。
「彼の音楽は決してそんなお上品なおっとりとしたものではない。彼の音楽は女性的である。ただし女性的といっても何ものかを産み出す、粗暴でしかも精妙な意志を持った意志での女性的である。」
もう河上さんむずかしすぎるわ。これどんな女性なんよ。むりやりモツアルトを重くしてるみたいです。 「その創造性の激しさは、当然自分で自分の造るものを知らないくらいである。」もうこれだって。
モツアルトは若者やからはげしかったんちゃうのん? そやけど子どもの時と若い時はまだまだ天からの霊感がどっか体にくっついてるんとちゃいますやろか。作曲と年齢は関係しませんか?

アリア 

さいならさいなら
《 2015.07.18 Sat  _  1ぺーじ 》