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取り逃がしている・花が咲いていた

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『父と母とくらした』『花が咲いていた』『おたより』いろいろタイトルをつけてみましたが やっぱり『おたより』なんていちばん遠いタイトルだし 『花が咲いていた』ですかねえ。前にも言いましたが あの家族で暮らした一軒の家の中をゆっくりゆっくりいろんなことを思い出しながら歩いてみたとしたら それなんです はい。
みなさんも そういうことをなさってみたら まるで芋づる式に(これってふさわしいたとえなんですかねえ)出てくるかもしれませんよ。


とりにがした家の繁栄

 つばめの出入り口をとざしてしまったこと これはもしかして あの家の「栄える」をとざしてしまったことになるかもしれなかった。 なぜなら言い伝えみたいなもの「つばめが巣を作るとその家は繁栄する」とかなんとかがあるから。 
そういえば田舎ではいろんな言い伝えがあった。「がまがその家の敷地にいると 繁栄する」どこまでみんなは繁栄したいのか。 私の生まれたところは 少なくともこの2つを「取り逃がしている」。
つばめの話はこの間したから こんどはがまの話をしよう。

テレビを見ていると 鳥取県の山あいの田舎に 清流が流れていて 「山椒魚」がまことにどう表現したらいいのか解らないような顔でゆっくりゆっくり泳いでいた。 そこでうまれてこのかた70年はいるおじさんが子どもの時にみた同じ山椒魚がこれだと言っていた。 なんでも山椒魚はどの位の寿命かわからないのだそうな。 しかし70年は生きているとしたら大した長寿だ。
「がま」の話なのに山椒魚の話になってしまった。
 というのも たしか以前に「がま」が家の池のはたのくぼんだところにいた姿を絵に描いていたのだけれども 見つからない。 それは 上に竹やぶがありその下の方が池になっていてどくだみという植物が群生していて そのくぼみにがまがいる「図」なのだった。
私はまことにいいかげんな人間なので 「がま」を山椒魚の顔で代用しようということにした。 ぶつぶつがあるところなど似てなくもない。 しかし山椒魚は目がどこなのか鼻がどこなのか 口など川魚のやまめをぱくっとやらないかぎり 大きな口だということが解らなかった。 しかしへたくそだけどか描いてみると山椒魚も「がま」に見えないこともない。

だいぶん横道にそれてしまったのだけど 「がまがいる!」とおおさわぎをしたのは私だった。 それも小学生でも低学年の頃。 私はきっとなにげなくそこに目がいって がまと目が合ってしまったのかも知れない。 がまのことだからきっときまり悪そうな顔をして「見つかったのか」ぐらいなこと思っていたのかも知れない。 大きかった。 父や母が出てきて大工さんも出てきた。どこか家をなおしていたのかもしれない。
そのうち「むしろ」をだれかがもってきて それでやつを動かそうっていうことらしかった。 「がま」はじっとしていて 人に触られると やっと「ぴょん」ととんだ。
「がまがおると金持ちになるんだっせ」とかいっているのも聞こえた。よその叔父さんの発言だった。がまを追い払おうとしているわけでその声はみんなに聞こえたのかどうか。で私の耳にはハッキリ聞こえていた。
そのうちそういうことを長年の間に耳にすることもあって 「つばめ」の話とこの「がま」の話はセットになって 私の記憶に残った。

その言葉通り 祖父からの家は 帰る子どももいなくてとだえてしまった。3人の息子がいたにもかかわらず。 
あの2つのことが守られていたら 兄達か私があの家に帰って住んでいただろうか。
しかし 私たち兄弟が帰らないまでも 父はすでに 若い頃から あの家を出て 神戸にいた。一人息子なのに。 そこで結婚もし祖父母を呼んで一緒に住んでいた。 孫の世話をしてもらいながらそこでずっと暮らすつもりだったと思う。
神戸大空襲で焼け出されなかったらのことだけど。 4人の子どもまでが神戸で生まれている。 そのうちの女の子が赤ちゃんの時に死んでいる。
戦後父の実家であるその家で私が一人生まれたのだ

まだつばめの入り口が塞がれていない頃 へびから巣を守らんと大騒ぎした恩義をツバメの祖先は覚えているだろうか?(笑) しかしまあいいのだ 私は「がま」の勇姿を見たのだし。
そういえばヘビの抜け殻を財布に入れている。これも昔からのいい伝えだと思う。



《 2015.07.16 Thu  _  カテゴリを追加, 花が咲いていた 》