who am ?I

PAGE TOP

  • 06
  • 22

1ぺーじ

スキャン846 2.jpeg
『ピカソとその周辺』フェルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳の続きです。


マリー・ローランサン

 マリー・ローランサンは二十才だった。栗色の縮らせた美しい髪を房々としたお下げに編んで、背中にたらしていた。
 二重瞼の山羊のような顔。近眼の両眼は、とがりすぎて、何か嗅ぎ出すようないつも先の少し赤い鼻に迫っていた。生まれつきの純真な様子をそのまま持ち続けるために、大いに骨を折っているというふうだった。彼女のにごった象牙色の顔色は強く感動したり、恥ずかしい時など、頬骨のあたりに紅葉を散らすのだった。背はかなり高く、彼女の服は細っそりしているが、よくしまった体を何時もぴったりと締めつけていた。ごく若い娘の手がそうであるように、長くて赤いその手はかさかさして骨ばっていた。少々身持ちの良くない娘という感じだったが、あるいはそう思わせようとしていたのかも知れない。
 前にサゴーの店で彼女に出会ったピカソとアポリネールが、彼女をスタインの家に連れて行った。
 レオ・スタインは彼女をからかうつもりで、文章の処々の卑猥さに彼女が赤面するだろうと思って、ジャリーの「ユビュ王」を彼女に手渡した。しかし、少しも驚かないばかりか無邪気に微笑しながら、「あら、あたしこの本知らなかったわ、貸してくださらない?」とマリーは言った。
 アポリネールは彼女を私たちに押しつけようとしたが、彼女はすぐには私たちと打ち解けようとはしなかった。
 彼女の態度には自然なところがほとんどなく、様子ぶって、少々抜けていて、とても「気取り屋」で、自分が作り出す効果ばかりを気にしているように私たちには思われた。彼女は、とても意識的な子供っぽい自分の身振りを鏡の中に盗み見ながら、自分の話を注意して聞いているというようなところがあった。
 ギョームは彼女のそういうところがとても面白かった。彼ら二人は、何時も連れ立っていた。彼女は自分の娘とは違い、控え目で慎み深い母親の家で暮らしていた。彼女たちはシャペル大通りのアパートに住んでいたが、その後、オートイユのラフォンテーヌ街に移転した。
 牝猫のプッシー・キャットが可愛がられて幅をきかしていた。マリーは一部屋を気持ちのいいアトリエに仕立てて、そこで仕事を励んでいた。何時に人がやって来ても、彼女はパレットと筆を手にして、自分で扉を開けに出て来たものだ。そして絵を避けて通らねばならなかった。
 母親は若い頃の思い出であるノルマンディーの古い民謡を口ずさみながら、倦まず刺繍をしていた。この田舎風の静かなうすら寒い住居を訪う客は、快く迎えられたものだ。
 マリーはある日、アポリネールと一緒にピカソの家にやって来た。彼女は部屋中を探しまわって、何でもかんでもひっくり返したり、触ってみないではおかなかった。彼女はあらゆる物をいちいち見たがり、どんな片隅までも見たがった。しかもそれがおどろくべき
無遠慮な冷静な態度だった。珍しがり屋の彼女はその上よく見ようとして、鼻眼鏡の上にさらに手眼鏡をかざすのだった。
 多分疲れたのだろう、彼女は急に静かになった。腰をおろして会話の仲間入りをするかのように見えたが、わけの分からない鋭い叫び声を立てて会話を中絶させた。みんなは驚いて口をつぐんだ。そして彼女を見まもった。「これが大ラマの叫び声よ」と、彼女は平然として私たちに言った。
 それから彼女は髪を直していたが、髪の毛を波打たせたまま急に立ち上がった。彼女の一番美しいものを見せようとでも思ったのだろうか?
 すべてこうしたことは世にも無邪気に行われたようだった。しかし...それにしても....。あの人の良いギョームはすっかりうれしがって、魅了されていた。
 彼女のこんな挙動は一体何だったのか?無頓着か?媚態か?何とも決め難い...。
 当時はまだ大きな魅力とまではいかなかったが、彼女はその後これを身につけたのだ。しかし、それも近眼の女たちが示す、ためらうような身振りのせいだと思われる。少々奇異な不思議な魅力だった。
 彼女は美人ではなかったが、何か気になって注意を惹かせるところがあった。この小さな気取り屋さんの本当の個性を、本当の賢さを見きわめることは困難だった。
 私たちもしまいには彼女の態度に慣れっこになってしまった。アポリネールが彼女を連れて来ても、私たちは彼女のことを気にしなくなった。

***

いやあ、かのマリー・ローランサンは若かりし頃こんなだったんや。フェルナンド・オリヴィエにしたら 同性でもあり 「いやなやっちゃ」と思ったんでしょうね。ところが案外ギョームをはじめ男たちは「面白い」と思ってたんですかね。 アポリネールなんか最初はピカソ達に彼女を押し付けようとしたくせに しまいには恋人同志みたい。後にアポリネールがマリー・ローランサンにふられたときの あの有名な詩もありましたね。
男と女はわからない ほんまですね。
オリヴィエはマリー・ローランサンのことをよく見てますね。しかし 隅から隅まで無遠慮に見たがるマリー・ローランサン。 「そんなことしたら嫌われるんや」 などと私は思ったりもしましたよ。 私はここでいう奇異なところがあるのかも それをかろうじて辛抱できてるのは フリマで 隅から隅まで見てるからかも。やばいです。
「近眼の ためらうような身振りが少々奇異な不思議な魅力だった」なんかこの魅力 オリヴィエさん なにやろね マリーという女の魅力は(笑)
しかし、こういう話の後 あのマリー・ローランサンの絵を見ると 彼女は一人の世界に入り切ってませんか? それが才能の一つなのかも。
「これが大ラマの叫び声よ」なんかそこのあたり笑ってしまいませんか?

さいならさいなら

 


《 2015.06.22 Mon  _  ちまたの芸術論 》