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『印象派時代』福島繁太郎著 光文社 昭和18年の続きです。


ロートレック

 「イヴェット・ギルベール」(1894年)になるといやに尖った鼻、角ばった顎など顔の特徴は強度に誇張されてカルカチュールに近い。しかしこれがポスターの下絵であることを多くの人は見逃している。ポスターはタブローとは別個の芸術であり、タブローをただ印刷しただけではポスターにはならない。ポスターは大衆的でなくてはならず、且つ遠方から見て目立ち、ひとに強い印象を与えなければならない。ぽすたーにカリカチュル的要素を入れる事はしばしば効果的であり、ことに盛り場のポスターには適当である事を彼は知っていたのである。これもロートレックがモデルに対し悪意をだいていたとするのは当たらない。ぽすたーの下絵が過度の誇張を持っている事も当然過ぎる事である。
 ロートレックはポスターの下絵の油彩を多数制作しているが、このポスターの下絵を漫然タブローと混同するのも、またロートレックを誤解する原因になるのである。
 ロートレックがモデルに対して悪意を抱いていたとする説をくつがえす実例を一つここに挙げておく。それはハネカーが引用したカドリールの名手のラ・グウリュに対してであ
る。彼女も年老いて、ムーラン・ルージュで全盛を歌ったのも過去の夢となって、フォアール(祭)の見世物小屋で踊らなければならなくなった時、ロートレックは早速小屋の飾幕をかいてやる程の好意を持っていた。悪意を抱いていた者に対する行為とは考えられないではないか。
 この飾幕は非常に大きな麻袋のような粗末な極荒めのカンバスに踊りの場面を極めて大胆な筆致で略画したもので、バックなどはカンバスの生地そのままに残してあった。
 1926年にこの絵を手に入れた画商バルバザンジュは、屋内鑑賞としてはあまり大きすぎるのでこれを数個に切り離してしまった。この行為は美術破壊者の行為として愛好者達から強く非難され、与論をうごかされ遂に画商も数個の部分を合わせて修理して原型に復さなければならなくなった。そしてこの絵はたしか愛好者の団体によって購入されて今はルーブル美術館に寄付されたはずである。私は原形に復した所は見なかったが、修理はすこぶる上手で、切り離した部分も見分けがつかないそうである。切り離して問題になっていた時、ラ・グウリゥが足をあげて踊っている部分を見たが、等身大で百号海景位の大きさはあった。

***

ここにとりあげた「イヴェット・ギルベール」は バルバザンジュがロートレックの絵を切り離したという その絵ではなさそうですが どうでしょう。
それにしてもこの画家はその一瞬をよくとらえていますね。それをタブローではなくポスターとして描いている。こんなポスター街路に貼ってあったら 夜にこっそり盗んできたくなりませんか?
子供の頃よく「火の用心」のポスターとか 描きましたよね。ありきたりのスタイルで つまらんポスター描いたもんです。もうまったくロートレックとは関係ないですね(笑)
ロートレックって どうやってこんなムーランルージュなどのポスターを描くようになったんやろ。この毒っけのあるポスターといいますか そういうのを徐々に過激にやっていって まわりの注文主を「うん やって」といわせたんやろか。
この画家の性格ですが コンプレックスで萎縮したりグーンとおおきくはちゃめちゃに陽気になったり ふりこのふり幅 大きかったんでしょうね。ふつうの人ではこうはいかないと思いますが。でも描いているときはまた集中したんやろな。もちろん絵を描く技術を勉強してるから描けるんですけど。「けったいなやつ」いても こうなると認めた方がよさそうよ。ほんま すごい人 いますね。
この中で海景と言う言葉が出てきますが わかりません。カリカチュールはどういう意味でしたっけ?若い頃知りあいの画家の子が カタカナでいろいろ言ってましたね。「そんなに知ったかぶりカタカナ よしてよ」と思ったものですが。
 今 ロートレックがモデルに対して悪意を持っていたなんて思わないとおもいますが。なにせこの本が出版されたのは昭和18年ですからね。そういうこと言う人いたんですかね。

さいならさいなら
《 2015.06.21 Sun  _  ちまたの芸術論 》