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1ぺーじ

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『印象派時代』福島繁太郎著 光文社 昭和18年発行の続きです。
ドガの絵では 「あくびをする洗濯女」でしたっけ それと踊り子の絵がどうつながるのか わたしはよくわからなかったのです。ところが先日テレビで知りました。ー踊り子というのはおどることでかせぐという自立した女だったーということを。当時は気に入られるとパトロンもつくという。洗濯女だってこの踊り子と同じように洗濯をしてかせぐ自立した女だったわけで。おみそれしやした。忘れないうちに書いておきましょう。

さて 今度はロートレックです。私のイラストの元(味の素のように)はこのロートレックからきてます。ロートレック式イラストがはじまったのは高校生の頃かな。子供の私がロートレックの描く大人の女を描き始めたわけで。ところがさすがに退廃的なところまでは描いていはない。たぶん子供だったからでしょう。なにはともあれ ロートレックとまいりましょうか。ここにある絵はロートレック作です。だれも私の作品と間違えはしないですよね(笑)

第7章 ロートレック

 ロートレック(1864−1901)

 ドガより後るること4分の1世紀、この芸術確立期を、スウラー、ゴオグ(ゴッホ)、ゴーギャンとほぼ同じくするロートレックも鋭き素描家であった。
 ロートレックについては近頃 式場隆三郎博士の「ロートレック」が出版された。面白い本である。ロートレックについて特に興味のある方々には、是非一読せられることをおすすめする。
 ロートレックは由緒あるトゥルーズ・ロートレック伯爵家の長男として、1864年、その居城、南仏のアルビに生まれた。少年の時、先天的に骨が弱かったためであろう、一寸した事故で両足を折ったため、胴体は普通に発達したが両足は発育せず、ついに生まれもつかぬ一寸法師となってしまった。この不幸は一面に於いて、彼の好んだ絵画に生涯をささげることを容易ならしめたとも云える。健康体であったならばかかる門閥の嗣子にとっては画家を業とするがごときは容易に許さるべくもなかったであろう。
 ロートレックが絵画が好きであったので、父はプランストーというスポーツや狩猟を専門にする画家を教師として見つけてきてくれた。プランストーは南部フランスの出身であるが、当時パリに住んでいた。ロートレックは師にならって動物、ことに馬のデッサンを盛んに描いたが、その当時より観察力はきわめて鋭敏で、力強い線をぐいぐいと駆使している。このころ彼が15才のときニースで描いた水彩を見ると、驚くほどの才筆で、一寸コンスタン・ギュイスを思わせるものがある。
 プランストーのアトリエの付近には数人の画家が住んでいたが、ロートレックは子供ながらもその人たちと知り合いになり、アトリエにも行くようになった。その中に後に相当ロートレックの芸術に感化を与えたジャン・ルイ・フォランがいた。フォランは日本では
あまり知られていないがフランスでは著名な人である。後には油絵でも大家になったが、そのころすでに新聞にカリカチュウルをかいて相当売り出していた。ユーモアに富んだ皮肉と雄健な(力強い)線、簡潔な表現は深くロートレックを喜ばせた。このフォランが、ロートレックをドガの所へつれていってくれたのである。
 バカロレア(大学入学資格試験)をとってから、正式に絵画を勉強するために1883年ボンナの研究所に入ったが、アカデミックな陳腐な空気は彼の肌には合わなかった。次いでコルモンの研究所へ変わったが、これも間もなくやめてしまった。
 当時(1880年代)話題の中心になっていた印象派(広義の意味における)にロートレックは次第に興味を感じてきた。だが彼は風景画を好まなかったから風景画家たる純粋の印象派、モネー、シスレー、ピサロ等には心惹かれるものがなかった。印象派の特色である外光にも特に関心を持たなかった。初期に於いて数枚、外光にさらされた人物を描いているのみで、これも永くは続かなかった。
 セザンヌやルノアールにも関心していたが、真に敬服していたのはドガであった。ドガこそ彼の守護神であった。ロートレックは印象派の影響は蒙る(こうむる)こと少なかったに反し、ドガの表情に富む鋭い線と、その線の極度の節約は教える所が多かった。

***

そうかー(何を感心してるんや)ロートレックはドガの絵に一番ひかれたんや。いまでこそ こんな事を云ってられますが 当時ロートレックは「あの画塾もこのアトリエもイヤ」でやりにくい若者やったかも。でもそんな中で「ドガの表情に富む鋭い線とその線の極度の節約は彼に教える所が多かった」とあります。このわがままとも思えるところが ロートレックの才能を開花させてるんですね。わがままというのは ほんとうのところを選ぶということなんですね。
プランストーのアトリエの付近の画家のところにも出入りしたりして いい環境だったんですね。そのころから観察力はあったそうで、そうですね ロートレックの観察力 男達のぬけめない表情などうまいもの。
売春宿に出入りしても ロートレックは警戒されるというよりは かわいがられたくちかなあ などと勝手に想像している私ですが。でもロートレックはその眼でしっかりと女達を観察していた。
彼は景色などは描かなかったんですね。いつもくるくると表情を変える人間達のほうが面白かったのでしょう。人は画家というと「絵が描ける人」としてみますが どういう絵を描くのかはさらにその画家のことをわけいって調べなくてはね。さらにどういう人生を送ったのかはまた興味深いものです。
私はこの1ぺーじをやってみて その人物のことを知ることが面白いですよ。それまでに知っていたことに 新たなことが付け加えられたり なるほどと思えたり。

さいならさいなら


《 2015.06.05 Fri  _  ちまたの芸術論 》