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1ぺーじ

『音楽と文化』河上徹太郎 創元社発行 昭和13年の続きです。


 ショパンは2、3の歌曲を除いてほとんどピアノのためにのみ作曲した。この純潔さは、彼の他の部門における不器用さによるよりも、むしろ彼がピアノという楽器を並外れてよく愛し、かつ知っていたからなのである。ピアノ音楽はベートーベンの激しい個性の力に押されて浪漫主義の潮流へ乗り出してきたが、それをうけてこの主義のもとに正統に発達させたのは、ショパンとシューマンとリストである。しかしシューマンやリストがその表現の上でやや心理的あるいは文学的であるのに対し、ショパンは純粋に音楽的である。その意味でショパンほど先人の影響を受けなかった作曲家はいない。ベルリオズ、リスト、マイエルベールを結局嫌い、シューマンを非音楽的だとさえいっている。ただバッハの平均率洋琴を非常に愛好し、常にこれを弾いていた。そしてこの曲が24の各音階に基づいて、最もその音階の特徴をつかんだ小曲24からなっているのにならい、ショパンも同じく個性的な小曲を24の音階の上に築いた。これが24の前奏曲集である。 
 ショパンが如何にピアノの性能の限界をよく心得ていたかを証明する一事は、彼のピアノ曲はある程度まで技術を獲得したピアニストには、ちょっと練習すればひけるという事実である。ピアノ音楽の最高峰のごとく思われているショパンの曲がやさしいなんて逆説的に聞こえるけど、これは事実である。彼に比べればシューマンやリストなんて実にむずかしい。即ち野心的であるだけに技巧的に無理があるのだ。ベートーベンだって、曲のある部分に、どうしても割り切れないような無理がある。しかしショパンの曲は、鍵盤をなでているうちに指が自然に弾いていくような容易さがある。本質的にピアニスティックな所以である。
 ピアニストとしてショパンの特徴は、精妙なタッチと多彩なニュアンスと美しいピアニシモにあったといわれている。彼のフォルテは弱々しかったが、これは彼の肉体的原因によるものらしい。しかし弱いけど、まんまるい純粋な音だった。彼自身大きな聴衆の前でリストのような絢爛な効果を出すことの出来ないことを知っていて、好んで親しい人たちの小さなグループの中で演奏した。
 かれの作曲のうち最も本質的なものは、エチュード、プレリュード、スケルツオ、バラード、ファンタジー等である。これらは純粋に音楽的霊感をもって成立しており、それに比べれば他のワルツやポロネーズやマズルカのごとき舞踏曲やノクターンの如く曲は、人間的であり、通俗的である。彼はまた2つのコンチェルトと3つのソナタを書いている。それもベートーベンの概念のもとなる形式で出来ているのではなく、もっと力の弱い、主観的、叙情的な曲である。彼はあまりに音自体に敏感であったために、自分の発見した音をそういう古典的な音楽形式に当てはめる能力を()いだのだ。だからこれらの大曲は、部分的な精妙さを除いては、かえって他の小曲より劣っているといえる。実際の所、形式は通俗的とはいえ、ノクターンやポロネーズの或るものには、ショパンの精神がっ自由に流露していて、彼の音楽へのよき入門手引きとなる曲がある。
 ショパンの純粋さがあまりに度強いものであるだけに、彼の立場は史的に見てちょっと孤立しているようだが、彼の後継者として適当な人は思い浮かばないにしろ、彼の音楽が近代音楽の諸傾向を用意したことは確かに認められるのである。これは音理的にもいろいろ証明できるであろうがちょっと考えてもその旋律本位の構成、装飾音や経過音の巧みな本質化、演奏上の諸謂テンポ・ルバートを必然的に要求するようなリズムの柔軟性などの一面から見ても、彼の近代性は次第に認められて来るだろうと思うのである。
 結局私はショパンがバッハと現代音楽をつなぐ重要な橋であることを、十分主張したいのである。

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ショパンの曲はシューマンやリストのようにむずかしくはないけれども それは無理がなく自然である。このことは今に通じることの一面を現してはいませんか。そしてこれは音楽だけではなく表現において。
絢爛で壮大な曲だけではなく ショパンのように体質的に弱い人ならば それが曲に流れていても それもやさしく美しいと。
このページでそんなことを云ってたらいいんだけど(笑)
ショパンは純粋に音楽的である。ショパンほど先人の影響を受けなかった作曲家はいない。そうなんだ。
ピアノに手を触れた時から 曲がはじまるわけだから その姿を見てみたかったな。
他の音楽家の曲ではどんなものがあるのかな。ベートーベンは激しい個性の力、シューマンやリストは表現の上でやや心理的あるいは文学的とありますが。
Rosemary  Brown によると肺をやんでたショパンも亡くなってから元気になって 病気をしてた分だけ人に優しいところのある 作曲家となったと書かれていますよ。
ほんとかなあって?ご想像におまかせしますが うれしいじゃないですか。
しかし弱いけれどもまんまるい純粋な音だった。そうなんですね。
「結局私はショパンがバッハと現代音楽をつなぐ重要な橋であることを十分主張したいのである」 と徹太郎さんはそう云ってますね。バッハってそういう場所にいる人なんですね。

さいならさいなら


《 2015.06.04 Thu  _  ちまたの芸術論 》