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『印象派時代』福島繁太郎 光文社 昭和18年発行

ドガについてのページです。


 ドガの性質の()介はますますはげしくなり、漸次に人に会うのが嫌になってきた。1886年までは印象派展覧会にも出品したが、それ以後はどこの展覧会にも出品しなくなり俗塵から離れて孤独の中に制作にふけるばかりになった。 *()は読めません
 ドガの晩年は悲惨であった。視力がしだいに減退してきたのである。彼の右目は青年時代からよく見えなかった。普仏戦争の時は招集されて歩兵となったが、射撃を練習してみると右眼では標的がさっぱり見えない事に気がついた。そこで砲兵隊に編入される事になったが、その中隊長はルイ・ル・グラン中学時代の級友アンリ・ルアールであった。この奇遇は一時絶えていた二人の交際を復活させ、ルアールはドガの生涯の友とあり、また支持者ともなったのである。
 老年になると左眼も次第に衰弱して、ついには画作を止めて専ら触覚によって彫刻を作らねばならなくなった。ドガの彫刻は皆この時代に作られたものである。
 気難しい人嫌いの性癖と、憂鬱は昂じて全く人と会わなくなり、かっての高邁な精神も消え失せて、両眼はまったく失明し、全くの孤独の中に、おそらく世界第一次戦争も知る事なしに1917年、世を去った。

***

ユトリロの母親シュザンヌ・バラドンは恋多き女性でした。画家達のモデルをするなか そうならなかったのがドガ。何の話?ですが きのうのテレビで「シュザンヌ・バラドンとユトリロ」の話の中で いってました。
ドガは右眼がまったくみえないことを 軍隊の射撃ではじめて気づくんですね。ところがそこで砲兵隊に編入される。そこで中学時代の友アンリ・ルアールに出会うわけで。偶然かも知れませんが素晴らしい再会ですね。アンリ・ルアールは生涯の友となりドガの支持者にもなるんですね。
画家で眼が見えないことはつらいですね。歳を取ると左眼まで見えなくなり もともと気難しい人間嫌いの性癖はさらに昂じていきます。
そりゃあそうですよね。あたりまえだー!

ドガという画家はこういう生涯をおくった人なんですね。
何台ものカメラのシャッターをおしてその一瞬をとらえようとしたドガ。そのころカメラのレンズを見ていて視力に気づかなかったのかしら。でもあの瞬間を捕らえたいという徹底したところ すごいですね。
年を取って おとろえていき 無惨ともおもえるドガ。
「おわりよければすべてよし」というけれども ドガの場合「そうかなあ」。
あの絵を描く上での情熱が一生の間にもてた事は たとえ老後にああいった時がきてしまっても 「おしなべて すべてよし」ですよね。
あっ でも 年取るとたいへんやなあ。どこが壊れるかわからんものねえ。
この人生の いろんなこと それを知ると さらにドガを深く知ったようで いいですねえ。

さいならさいなら 
《 2015.05.31 Sun  _  ちまたの芸術論 》