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おたより

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今日は お父ちゃんにでも「たより」出してみよかな。
「おたより ありがとうございます」そういいたいとこやけど そういうわけにもいかんしなあ。 あっすんませんつい・・・。
お父ちゃん 「おやじの背中」っていうのん 朝日新聞であったよね。といってもお父ちゃんはこの連載の前に亡くなってるなあ。あれ読むとねお父ちゃんってどんな男やったんかなあ と思うんです。 
生前はやっぱり私は「お父ちゃん」ってよんでたかなあ。お父ちゃんは中学校の校長先生してる頃は よくよっぱらって でも不思議と「ただいまあ お母ちゃん」なんて帰ってきてたね。すぐよっぱらいになるから お母ちゃんも私もお父ちゃんのこと 尊敬はしてなかったなあ。ふらふらふらふらして ちっともかっこよくなかった。そやから私は ほかの先生のことだけ 尊敬してたわ。 兄なんかも お父ちゃんはこわいだけで あんまり近づきたいとおもってなかったと思うんだけど。私は末っ子で女の子で あんがいこわくなかったけどね。
でも、それ以外では 大工仕事が好きで、ペンキ塗るのも好きで なんだって手作りの家やった。でも職人さんのようにスッキリはしてなかったなあ。だから それも尊敬してなかった。
畑仕事も魚のコイをかうことも 好きやった。つまり よっぱらってフラフラすること以外はけっこうまじめなお父ちゃんやったわけで 子どもらを学大学入れなあかんから いっつも同じ背広着てたし。給料袋はそのままお母ちゃんに渡してたかもしれません。
その職人技ではないもの作りは つまりアーチストやったということにしょう。イメージとしたらゴッホ風かな。どこかごつごつしてたようです。

お父ちゃんは天下の一人っ子。たよりなくて なきむし。お母ちゃんは7人兄弟で しっかりもの 丈夫。 そんなお母ちゃんのことをお父ちゃんは野蛮人とか言ってました。
あのころはやってただっこちゃんは お父ちゃんや。しっかりしたお母ちゃんのうでに「きゅっ」とくっついてたお父ちゃん。
病気で死ぬまで 自転車で転げ落ちて死ぬようなことがなかったのは不思議。
後で聞いたんだけど よっぱらいでも帰省本能があるから どうにかして帰ってこられるそうですよ。お父ちゃんは「崖の下に自転車落としたから 持って帰ってきて」 なんてこと 言ったことがあります。 お母ちゃんと私は ほんとにお父ちゃんに腹を立てつつ自転車を崖の下までとりに行きました。
人の特徴って 「なにで一番困ったのか」で順番が決まるんですかねえ。
お父ちゃんが71で死んで 何年もしてから いいとこがいっぱい出て来るようになったんは つまりお父ちゃんはあの世から名誉挽回のために 霊界通信で 「お父ちゃんのええとこ いっぱいあるやろ」といって 私にふきこんでるんですかね。
私はあの大工部屋がよかったなあ。えたいのしれんものが宝島のように転がってましたよ。創作意欲がわく部屋でしたね。
昔のけっこうぼろぼろの床の落ちそうな大工部屋だったんですけど 夜なんて こわくていてられませんでしたが お父ちゃんはそこで電気付けて夜も「かんかん」金槌のおとひびかせてました。 隣の本家のおじいさんは お百姓さんで早起きだから この音がうるさいといって おこってましたね。この金槌の音が せわしないんですよ お父ちゃんの場合は。 校長先生もせなあかんから 手作りも急がなあかん訳で。この雑さ加減と情熱が アーチストって言う訳ですわ。これは私が認定しました。 私も長年「画家になるわ」と言い続けてたでしょう? だから ちょっとぐらい「アートとは・・・」なんて言いたくなります。「アートはせわしなさと情熱」ですわ。 で お父ちゃんと私はアートの同じ泉にて生まれ 泳ぎ続けた2人です。
私も子育てでえらい忙しかったでしょ。 だから「せわしなくて情熱の熱くるしい」アーチスト。 どっか似てるでしょ。でもつぶしのきかない2人なの ほんま。
だからみなさんにはわるいけど 「せわしなさと情熱」だけでおしまいにさせて下さい。血は争えません。でも期待だけは いくらでもしてくださいね。 夢もみてください。
もう一つ これはすごいよ! 2人は「写真写りがいいんです」あんまり関係ないですか。

お父ちゃん こんなんでどー? バイバイ
《 2015.05.24 Sun  _  エッセー 》