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憩い   ドガ

『印象派時代』福島繁太郎著 光文社 昭和18年発行の続きです。


パステル

 ドガはパステルの大家であった。素描家たる彼が油彩よりむしろパステルに長じていたのは当然である。
 パステルに於いては、彼の得意の線は充分にその力強さを発揮することができた。色彩も一段とさえている。若い頃の肖像画などよりも色が明快に豪華になったのは、印象派のパレットの間接の影響と見られないことはない。
 ドガ自身も油彩よりもパステルに秀でていることを意識して、中期以後は主としてパステルのみで制作した。私の最も感銘深かったパステルは、デュラン・ルエル画廊で見たものであるが、オペラのバレーを三十号、人体よりやや幅広い正方形に近いものに描いてあった。ドガのパステルは、デッサンにパステルで色付けした程度のものが多いが、これは極彩色で充実したものであった。
 約半分より下に、右方に少し片寄って三人の踊り子の張り切った上半身だけが見える。踊り子達は、敏捷な動作が急激に制止された瞬間にあり、直ちにまた敏捷なる動作に移らんとする所である。背景はただ赤、桃色、黄、青、緑、などの色をチョウの羽の如く散りばめて、夢幻的な華麗な舞踏面を暗示している。一寸考えるとバランスを失った構図のように思われるが、踊り子の姿態の線の組み合わせと、円形の色彩によって、巧みにバランスをとりながら、片寄った構図によってっ舞台の広さとなお多くの踊り子がいることを思わせている。
 ドガのデッサンは力強く人に迫るものがあるが、厳粛に過ぎて鑑賞者を反発せしめるものもある。このパステルにあっては色彩の華麗と、ゆとりのある構図によってその厳粛さは緩和されている。
 中年以後に於いても、稀には油絵を描いた。ここにあげる「踊り子・青」もその一例であるが、初期の滑らかな薄いマチエルの平塗りをやめて、筆触を細かく分割して、純粋色を用いて煙るような柔らかいパステルのごとき感じを出していることが注目される。ドガの意図はパステルのような感じを出す事にあるのであるから、印象派の意図とは異なるが、技法に於いてはある程度印象派のそれを採用しているものといわなければならな
い。 パステルの感じを出すために、ドガは実際油絵の具にパステルを混用したこともあった。またデトランプ(卵白で絵の具を固める方法)で画布に描き、油絵の具で紙に描いたこともあった。油絵の具で紙に描くことは 別段新しい試みではなく、小さいものではすでにコローなども描いているし、現代に於いてもルオーなどは大部分が紙である。日本においては油絵の具で紙に描くことを保存上危険に思う画家もあるが、これは油絵は画布に描くものとのみ思い込んだ馬鹿の一つ覚えである。
 ドガは動作のある生物には極めて敏感であったが、その反対に動作のないものには、全然無関心であった。静物画は描かなかったらしい。
 風景画も競馬場の図など背景として取り扱ったものの他は、ほとんど描かなかった。ただアトリエ内で手遊び半分にごく軽いものを、稀に描いたに過ぎない。私はただ一点、ベルネーム・ジューン画廊で見たことがある。それは習作の程度を出ない小さいパステルで、春の逃げ水とでもいうような小川が野原をゆるゆる流れている図で、淡白の感じはまるで日本画のようであった。当時パリでもてはやされた日本画を見て、面白半分にかいたのではないかと思われる。

***

「これは油絵は画布に描くものとのみ思い込んだ馬鹿の一つ覚えである。」
なんてことを繁太郎さんは言っちゃったりして。
実は私は木枠のキャンバスなど恐れ多くて たとえ油絵の具をつかっても 描けなかったんです。で画用紙に描いていました はい。まあ、こういう意味ではないのでしょうが ドガは紙に油絵の具で描いたことがあるんですね、コローも。新鮮!

ドガはパステルの大家だったんですね。デッサンからパステルへ つながってるんですね。指でのばしたりはけでひろげたり。ルドンはどうだったのかしら? なんかルドンの色彩の表し方にも こういう感じあるように思うんだけど。

「印象派のパレットの間接の影響」これはどういう意味なのかな?

油絵の具とパステルを併用したのも ドガはこういうことをやってもいたんだということが面白かった。私は水彩もクレパスもパステルもいっしょに使うことがよくありました。ただドガはパステルの感じを出したいという方向性があったということが またその強いドガだけの思いに「さすが巨匠」とうなずきました。私のようになんでも「やるぜ」じゃないのよね(笑)。
この時代の芸術家は なんていうのかなあ 「しっかり重い」なにかがあって 真剣よね。 少なくとも私は こんなに重くない。 こういうところが この文章の中から わかってくるというのも いいですね。
「ドガは動作のある生物には極めて敏感であったが、その反対に動作のないものには、全然無関心であった。静物画は描かなかったらしい。」こういうことは今までドガのことを読んでいたら なるほどと思いますね。 この言葉だけ 何かで読んだら ドガとはこんな画家という分類にすぎなかったかもしれません。
表現の中で やってみたかったことがはっきりしてくる 自分の表現の中でこんなことあったんかいなあ・・・。 そうか小粒かも知れないけど あったなあ。 どんなことをやってみたかったんだって? 今日はここまで。

さいならさいなら
《 2015.05.23 Sat  _  ちまたの芸術論 》