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『関係のフラグメントII』立岡さん著


中島らもとチャールズ・ブコウスキー
若しくは、ヘンリー・ミラーの息子達

 らもる・らもれば・らもられる
これは中島らもの活用形。
 数年前、大阪の友人である聖さんと彼の友人の大場さんの中年男三人で、中島らもの本を回し読みしたことがある。聖さんは運送屋さんをしているが、これは借りの姿で、実は日本人にしてはめずらしくホップなアーチストだと秘かに思っている。この何年間は木工作品を作ったり、最近は子供が大きくなり家を出ていったりして、十数年来の借家を改造中で、ウイリアム・モリスをモダンにしたような玄関ドアまで造ってしまった。聖さんは自称テレビっ子で、NHKと衛星放送しか観ない。雑誌以外本など読んでる姿を見たことがなかったのに最近では、「物を造るのは誰にでもできるけど、物を書くのはちゃう。あれは覚悟がないとできひん。誰にも出来ることとちがうんや」と訳のわからない事を言っている。ドアを造れない僕にしたら同じことに思えるのだが。勿論これは中島らもの影響。らもるというのは、本をよんでる姿を見た聖さんの娘が「またらもってんか」という一言からきている。中島らもしか読んでないということか?

 中島らもの魅力は、笑いで人をバックドロップにかけながら、かって宗教が担っていたような生の深淵に読者を突き落とす言葉の凄さにある。そして彼の文章の中には、1970年前後の一時代を経験した者にとって懐かしい気分が漂っている。

1970年の夏、僕は野外のジャズ・コンサート会場にいた。キザなジャズ評論家が司会をしていて、「ジャズを聴く人は、ロックのファンと違ってマナーが良いから・・・」などと余計なことを言うものだから、観客から一斉に「帰れー」コールと罵声をあびて、すごすご退場してしまった。後半の盛り上がった所で、渡辺貞夫が演奏していたのだが、客席から石を投げる奴がいて、怒ってメンバーを連れて彼も退場してしまう。渡辺貞夫はもともとチャーリー・パーカー派の人なのだけど、ボサノバ・ジャズが出ればよく似たアルバムを出すし、フリージャズのまねごとはするわ、フュージョンが流行ればとびつくわで、つまり器用なミュージシャンなのだけれど、石を投げた奴にすれば、そんなポリシーのないジャズなどを聴きたくもないといったところだろう。
 中島らもの本にも、野外のロック・コンサートで、野次り飛ばして内田裕也に追いかけまわされた有名な話がある。
 今では信じられない事で、人々はあきれるほど豊かになり、円くなり、時々何処かでとんでもない事件が起こり、そしてなぜか癒されたがっている。
 得体の知れない幻想とエネルギーの中で、世界と自身に伺って何かを成そうとした行為としての情熱。そんな時代の文化をたしかに経験していた。
 時代は変わり、熱はさめた。
 ジャズ喫茶のかたすみでヘンリー・ミラーを読んでいた、中島らもも。

***

中島らものらもる・らもれば・らもられる ですか。
同年代の立岡さんのいたところは ジャズ ナベサダ 内田裕也 ヘンリー・ミラー。
みんな知ってるけど 私は出会った事はない。 かの植草甚一おじさんが出てこないけど どうなの?石は投げないで下さい(笑) 
ナベサダはなんでもやってみた人なんだ。小さな声で言うけど 「いいねえ」おんなじことばっかやってたらあきるのよ〜。あっごめんごめん
内田裕也にも石投げたん?あの人やったら追っかけるやろなあ。どっちがはやかったんやろ かけっこ。でも熱くて面白い時代だったんや。
私?なかなか軌道にのらない情熱ぶりでした。なんやそれは。
ヘンリー・ミラーも好きだけど ときどき 「私は女だから 道別れるなあ」と思う。男の描く女は ちょっとちがうんだなあ。私は服着るな(笑)。
あっ くさまやよい女史が出てきた。だから 私のちまたの感覚では服着る。ヘンリー・ミラーを追っかけていて とんと止まるのはこんな時。

今なんかね 植草甚一おじさんや ジャズ ニューヨークとうかれてたら またとんとストップ! あっオノヨーコだ。オノヨーコ人形を このジャズ・コンサートのまんなかにおいてみる。「そうね 石おもしろいわね なげる 他になにかないかしら?」
中島らもとオノヨーコの対談は「水のあわテーブル」をはさんで あんがい面白い話に。ピースという旗をたててもひっくり返るし イエスだってひっくり返る。水のあわはてごわいのよ。 らもる らもれば らもられるは あわのなかを泳いでる。できれば水色のあわにしてほしい。

時代は変わり 熱はさめた そうなんや・・・

さいならさいなら



《 2015.05.03 Sun  _  ちまたの芸術論 》