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『印象派時代』の続きです。福島繁太郎著 光文社 昭和18年発行です。初版で2000部、あくる年には4000部売れています。こういうことって よく売れたということなんですかね。
はじめは概要から書き写していたんですが いつのまにやら 「ドガ」のことについてです。私というのはいいかげんなところがあるんですけど。気ままに さあいきますか。


 彼はまづ市井の卑近なる職業に、例えばモディスト(女帽子屋)、洗濯女などに女性を見た。 そしてその職業において取り得るあらゆる動作を冷静に観察し、その瞬間を最もよく表現する姿態、それは歪められ、ときには通常の観念においては醜悪と思われる姿態に執拗に食い下がった。 ドガの目の覚めるような皮肉と云われるはこれである。あくびをしている洗濯女、歯痛に悩む洗濯女、火()斗を掛けている女、等の作品がある。
 それは人体に対する画家の見方を全く更新したものであった。ドガの見方は浮世絵版画に暗示を受けたものと思われるが、西洋に於いては、いかなる画家も注目しなかった多くの姿態に執着して、之を表現するに全身の情熱を傾けた。ここにドガの芸術の革新性が見出される。ドガを漫然印象派とアカデミズムとの中間の存在の如く考える論者もあるが、きわめて皮相な見解である。ドガは決してそんな生ぬるい存在ではない。印象主義とは異なるが、その革新的なる点において印象派に歩みを譲るものではない。
 裸婦も、パリスの審判や沐浴のスゥザンヌのごとく、空想的なものは描かなかった。彼の主題は、現実の生活に現れ、しかも動作を伴ったものでなければならなかった。
 金属性の盥(たらい)で行水をしている女、等の作品が多いことはあまりにも有名である。 進行中の動作の一瞬を鋭くとらえその直前の動きと、直後に続くべき動きを暗示し、運動感を巧みに表現することに於いては全く余人の追従を許さない。

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ドガの画集を見たことがない私は 女帽子屋だとかあくびをしている洗濯女 歯痛に悩む洗濯女など 市井の職業の人たちをたくさん描いていることを知って驚いています。クラッシックバレーの踊り子たちの絵はよく見ましたが それがドガの代表作であり 庶民の生活を描いているようには 見えませんでした。この文章を読んでますと ドガの絵をもっと見てみたいと思いましたよ。盥で行水している女とかね。
 「進行中の動作の一瞬を鋭くとらえその直前の動きと、直後に続くべき動きを暗示し、運動感を巧みに表現することに於いては全く余人の追従を許さない」と書いてありますね。私たちもドガの絵に感じるのはこういうところじゃないでしょうか。
「ドガを漫然印象派とアカデミズムとの中間の存在の如く考える論者もあるが、きわめて皮相な見解である。ドガは決してそんな生ぬるい存在ではない。印象主義とは異なるが、その革新的なる点に於いて印象派に歩みを譲るものではない」
かなり福島繁太郎はドンと机をたたくように言ってますね。「ははー!」私もドガのことを改めて見てみようかな。
しかし、今回入れたドガの絵は 踊り子でした。この本の中には洗濯女はどうやら入っておらんようですよ。こんだけ言うんやったら 入れて下さいよ。 歯痛に悩む洗濯女を見てみたいです。ドガの見方は浮世絵版画に暗示を受けているようですね。浮世絵版画の暗示とは? ドガはもう少し続きます こんどはどういうことが書いてあるのかな?

さいならさいなら


《 2015.04.27 Mon  _  ちまたの芸術論 》