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『ピカソとその周辺』フェルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳の続きです。


アンブロワーズ・ヴォラール

 ピカソはさらに一段の進境を見せ、<青の時代>を過ぎて<旅芸人の時代>に入っていた。 
 まず野原に一群の軽業師を配した大作を手がけた。その連中は休んでいる者もあれば、働いている者もある。一人の子供が玉乗りの稽古をしている。その絵は、私はよく覚えているが、幾度も描きなおされた。
 次に、それと同じ心持を盛ったグワッシュと油絵が幾点か描きあげられた。
 この時代の作品を残らず手に入れたのが、ヴォラールである。彼は不意にアトリエにやって来て全部まとめて買い上げた。こうしてピカソは二千フランという思いがけない金額を手に入れ、それで数ヶ月間スペインを旅行することができたし、またその代わりにヴォラールは大小とりまぜて三十点ばかりの絵を持って行ったのを、私は今でも覚えている。
 彼はまたピカソからこの時代(1904年〜1907年)のエッチングを数枚買い取って、それを一冊のアルバムにまとめて出版したが、1908年頃にはその定価がおよそ百フランぐらいだった。そのエッチングの中の佳作は人物、サーカスに取材したもの、貧乏生活もの、エロードの前で踊るサロメだった。
 数点の彫刻もヴォラールの手に渡った。粗彫りの<夫人の胸像><鈴のついたボンネットを被った道化の胸像>、力強い生命力の溢れた<鼻の欠けたスペイン闘牛士>の顔など。 
 ピカソがもっと彫刻に身を入れなかったのは惜しいことだ。彼の作品はその構想におおきな特質があり、きわめて人間的な感情を示している。恐らく、人々は彼の絵画から発散するあの力強さは感じなかったであろう。だがそのかわり、彼の不朽の極印ともいうべきあの特殊の優雅さが彫刻の中には、はっきりと現れていたのである。
 よし読者がヴォラールの店を訪ねられたとしても、他の多くの画家の作品と同じように、ピカソのものを一枚も見出されることはあるまい。それはこの画商が意地悪く隠していて、数人の特別の人にしか見せなかったからである。けれどもラフィット街の彼の地下室には、何という数々の宝物がしまってあったことか!
 奇妙なのはヴォラール家である。何事も地下室で行われた。芸術家たちの招待も、昼食も、晩餐も・・・。そして何という結構な昼食がこの地下室で供されたことか!それにヴォラールがその機智で興を添えるのだったが、それが植民地生まれのズーズー弁だったので、かえって不思議な、とても微妙で愉快な魅力があるのだった。だが読者はヴォラールの人物と、履歴と、ゴーガン、ルノアール、セザンヌ、ロートレック、ドガ、ピカソ、ドラン、ヴラマンクなどの彼の宝物をご存知のことだろう。
 ヴォラ−ルは絵画に対する趣味、生まれつきの繊細さ、人並み勝れた才気、風変わりな客観をそなえていて、当代の元気で親切な一人物である。

***

オリヴィエはピカソの当時の作品の数々をしっかり覚えていますね。そしてピカソの作品にかかわった画商のヴォラールのこともよく見てる。ゴーガン、ルノアール、セザンヌ、ロートレック、ドガ、ピカソ、ドラン、ヴラマンクなどヴォラールの画商としての持ち物はすごい!植民地生まれのズーズー弁のヴォラール、というところは こういう表現でいいのか分かりませんが また面白いです。
フランスのパリあたりに絵の拠点をもとめて画家たちも画商たちも集まった時代。
すごい芸術家たちが出てますね。
オリヴィエはヴォラールは意地汚い画商だと言いつつも 最後にはえらいほめていますね。これは他のところでもよく見られます。
これは彼女独特の言いまわしなのか、フランス人の特徴なのか興味深い所です。ひとの片鱗を見たり全体像をつかんだりできる人だったんですかね。

さいならさいなら
《 2015.04.20 Mon  _  ちまたの芸術論 》