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『印象派時代』福島繁太郎著 続きです。
この昭和18年に出版された本の漢字にはまいります。なぜこんな古い本に出会ってしまったのか。しかし、印象派時代に魅かれる私としましては 戦時中福島という著者がこのように印象派時代を書いておきたかったのはなぜか それを見てみたいと思うことにしました。その漢字ですがそのとうりには打っていません。今の漢字にしています。
セザンヌのこの絵、さてこれから書き写すセザンヌ論をよく現しているのでしょうか。白黒の印刷ですが 今の色のあふれた時代 ちょっといいですよね。

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 厳密なる意味においてセザンヌは一時たりとも印象主義者ではなかった、と私は思う。
 一般にセザンヌの印象主義時代といわれる頃の作品(1874年から1878年頃まで)を検討してみても、その色彩の明快、筆触の分割、素直な自然観照態度などは、明らかに印象主義の感化とみとむべきではあるが、印象主義の特徴である外光への強い関心、色彩の分解を行っていないから、真正なる印象派とはいい得ない。
 やがて印象主義とははっきり立場の異なることを認識して、1878年以後は印象派展覧会にも出品しなくなり、「モネーの作品に堅実性と骨組みを与えなければならない」と云った。
 理知的で多分に哲人的気質を持っていたセザンヌは、印象派が自然の表面の光の変化にのみ執着することにあきたらず、自然を構造的に把握せんとした。
「自然を円筒、円球、円錐をもって処理せよ」という彼の有名な言葉がある。
 構造的に把握した自然を、彼は再構成した一つの統一体といて再現した。えら枯れるそれぞれの物体を、それ自体として考えず、全体のリズムと調和を形作るものとしてのみ考えて、この理念のもとに秩序を与えて構成した。これがために全体の部分たる諸々の物体のデフォルマションが必然的に起こってくる。
 セザンヌの絵画理念は、雰囲気を表現し、絵画の構成を顧みざる印象主義とは対称的のものとなったが、セザニズムと印象主義とは関係がないわけではない。セザンヌの形態と色彩とは不可分であると言う考えは、印象主義に負う所が深いのである。 
 印象主義の物体固有色否定の研究に、セザンヌは深く感動する所はあったが、その結論に於いては又異なる意見を持っていた。
 彼は、印象派の如く自然の瞬間の姿を表現せんとするものではない。落ち着いた物静かな姿を表現せんとして、自然を長く凝視してみると、ものの色彩は光の強弱により大いに変化するが、いかなるときをも通じての公約的な一定の色彩のあることを知った。すなわち物体固有色の存在を認めたのである。しかしながら従来のスペイン派のように一定の物体固有色を以て塗り、これにしろと黒とで明暗の調子をつけてモデルリングするが如く単純なものではなく、他物の反射により複雑に変化するものなることを知り、物体固有色とその変化の調和に腐心した。印象主義とは結論を異にすることになったが、その探究過程は印象主義に負うところ多大と云わねばならない。
 この理論は物の輪郭を線をもって描くことを否定した、線をもって輪郭を描くことは自然を外面的に見ることであると排撃した。彼の絵のところどころに線のごとき物が見えて絵画をひきしめているが、彼はただ強い色彩のコントラストと見ているに過ぎない。
 セザンヌの理念は1885年頃になって、印象派陣営の若手、ゴーギャン、ゴーグ等に多大の示唆を与え彼らをして印象主義に盲従することなく、これを検討する態度に出しめた。更に少し遅れては、モーリス・ドニ、エミル・ベルナール等、セザンヌを崇拝するものが増加した。だが真にセザニズムが理解されたのは1908年頃、ピカソ、ドラン等のセザンヌ研究によると云っていい。

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セザンヌのことは画集で見ていました。高校生のときに目にしたセザンヌの画集、ちょっともう一度見てみましょう。
「絵の具を混ぜないようにする」「絵を明るくした」この二つのことが赤鉛筆で「 」しています。そして私は自分の絵にこのことを実行しています。
印象派主義は外での光をつかまえるのに必死でした。だけどセザンヌはたしかに光によって色は変わることは分かるが ええっと なんでしたっけ?そうそう「物の色彩は光の強弱により多いに変化するが、いかなる時をも通じての公約的な一定の色彩のあることを知った」というわけなんですね。この物体固有色と変化の調和に腐心したんでしたね。
「調和」か。
 それにしても それまでの画家たちの新しい発見にさらなる熟慮、新しいことが始まるとこぞってそれに従います。それが芸術論としてかたまろうとするのですが そうなってもそこからさらに新しい芽が出始めている。
そのとどまることをしらない こうした動き。
私は10代の頃「セザンヌみたいにへたな画家はいないわ」と思っていました。とくに女のヌードなど とくにルノワールに感心してたので 「わかってないなあ」などと。
「サント・ヴィクトワール山」のような絵に関しては そのころこういう描きかたをする画家たちが結構いたような気がして それも「かぶれてるなあ」と思ったものです。
そういう私も「赤いチョッキの少年」「温室の中の夫人」に影響を受けた絵を描いた記憶があります。「顔をななめに手のひらでまとめあげましょう」というような描きかたで輪郭線はないのです。顔は表情に重点がおいてあるわけではなく 楕円形という形なのです。10代の私がこの本にあるような理論を知っているわけではなく、画集を見ていて影響を受けていたんだと思います。

「自然を構造的に把握せんとした。「自然を円筒、円球、円錐をもって処理せよ」というかれの有名な言葉がある。 これですよ。

画家は「個性」よ といつも思っていました。「潮流」は関係ないとすましていましたが どっこい私も印象主義時代の影響を受けていたというわけなんです。「理論」なんて先行しちゃあ駄目と思ってもいましたが こうしてセザンヌのことやモネーのところを読んでいくと 「骨組み」のない絵なんてというふうになります。
やっぱり「芸術論」はあるのです。

さいならさいなら


《 2015.04.01 Wed  _  ちまたの芸術論 》