『ピカソとその周辺』の続きです。
しかし誰一人として、私がこれからそうする積りでいるように、ありのままを書いた者はいない。 毎日繰り返され、毎日嘗(な)めさせられたことだが、仕事がうまく進んでいるか否かによって一喜一憂する何もかも不足勝な生活が、物質上の困難が、その日その日の単調さを破っていた。
「ところで仕事は進んでるか?」彼らはこの言葉を仲間に会う度に、何度繰り返したことか? すると「ふん!」と、たとえばピカソのように、いつも気分が休まることがない、決して都合よく「仕事が進んだ」ためしのない、頑固な探求者はいうのだった。
「はっ!はっ!」と、(これが物質的なものでない限り)、どんな難局にも一向にへこたれないアポリネールが( )笑すると、こんどは、マリー・ローランサンが、同じ質問に対して彼女自身が「達頼喇嘛(だらんらま)」の叫び声と名づけている、おそらく彼女独特の調子の甲高い叫び声で答えるのだった。
威厳があり、慎重なマチスは、重々しく「うん」とか「いや」とか言ってから、誰かしらといつまでも果てしない議論を始めるのだった。 身の丈二メートルもあるドランは、自信満々だった。 アルジャトイユ生まれのノルマンディー人であるブラックは、用心深く「どうやらうまく行きそうだ!あるいは駄目かも知れんが・・・。もう少しすれば分かるさ」というのだった。 ヴァン・ドンゲンは、ムーラン・ド・ラ・ガレットや、ムーラン・ルージュで描いたデッサンを展覧して、それを週刊のユーモア雑誌に百スウ内至十フランで売っていた。 マックス・ジャコブときてはルピック街か、丘のどこか他の街に関する最近の印象記が載っている一枚の古びた紙片をポケットから取り出して、その数行をさも勿体らしく私たちに読んで聞かせるのだった。
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この文章を打ちながら 今こういう光景が日本にあったとして と思いかけて想像するのがむずかしいのでやめにしました。
それにしても マチスやブラック、 ドンゲン、 マックス・ジャコブ、ドラン、マリーローランサン、アポリネール、みんな今では すごい芸術家たちが ピカソとオリヴィエの周辺にいたわけですね。 そしてその人たちがおしゃべりをしてる様子までもが伝わってきます。 みんなお金もなかったのかもしれない 仕事だって思ったように進まなかった時も。 売れ出すと成功物語ですが それよりこういう時の話の方が面白かったかも知れない。 ピカソは「いつも気分が休まることがない、決して都合よく 仕事が進んだ ためしのない頑固な探求者」だったんですね。そんなときがどれほど続いたんでしょう?
私なんかピカソという人は まようことなく どんどんと変化をし やりたいようにやった人 たとえ 貧乏時代でも と思っていたので 意外でした。
さあ こんどはどういうことになっているかな さいならさいなら