who am ?I

PAGE TOP

  • 03
  • 01

1ぺーじ

『対談 人類は成熟する』ローレンス・トーブと内田 樹 の続きです。

トーブ 宗教の時代は長く続きます。商人と労働者の時間は 短い。 今はその三つのパワーがせめぎあっているとも言えます。歴史の流れがどんどん速くなっているんです。
 中でも労働者の時代はいちばん不安定です。なにに価値観をおくかは個人次第ですから。

内田 トーブさんのおっしゃっている「労働者」は僕たちの「ワーカー」の語感とかなり違うような気がします。「商人」の後にどうして「労働者」が来るのか、ちょっとわかりにくい。僕の感覚だと、「労働者」よりもむしろ「消費者」という方がふさわしいようです。「商人」の時代の次は「消費者」の時代というほうが感覚的にわかりやすい。

 誰かに雇われていて、クビにされる可能性がある人は「労働者」ですね。そういう可能性が無い人は「商人」。簡単に言うと、企業に雇用されていたら「労働者」で、自営業的な人は「商人」ということにもなるのでしょうか。

トーブ 奴隷など肉体労働者からはじまって、それがだんだん機械を使うようになり、いままではサービス業に従事する「ホワイトカラー」といわれている人たちを私は「労働者」と言っています。内田さんのような大学教授なども含みます。なにかの組織に属している人は「労働者」と定義しています。
 農業、水産業、林業などに従事する人々は先進国では減っています。一方「第三世界」では戦士時代に属する地域や国さえあります。エスキモーなどはまだ一回目の宗教時代に属している。ほかにも、宗教の時代に属している民族や社会は多いでしょう。
 現在、もっともパワフルなのは工業の発達した国です。経済的にも政治的にもパワーがある。それらの国では大企業が力をもっています。ですから世界的にはいまは労働者の時代なのです。

内田 トーブさんの定義だと「別の時代」の人たちが、同時代に生きているということが
起こりますね。あるいは一人の人間が一生の間に「別の時代」を生きるということも起こりうる。 
  
 例えば、エジソンとワイアット・アープと清水次郎長は生きた時代が近いんです。でも、感覚的にはワイアット・アープとエジソンを比べると、ワイアット・アープは「昔の人」で、清水次郎長はさらに二十いくつか年上なのだけど、その差以上に「もっと昔の人」だとみんな思っている。(笑) こういう感覚のずれが生じるのは、歴史が斉一的に直線的な変化過程をたどっていると考えるからですね。でもアープとエジソンはリアルタイムで同じ時代の、同じ大陸の空気をすっていた。ですから、どこかに関係性があるはずなんです。直接のつながりがなくても、行動パターンや思考パターンには共通性があるはずなんです。

清水次郎長は明治二十年代まで生きていますが、明治以降の彼の事跡はほとんど語られることがありません。 『東海遊侠伝』にあるエピソードは繰り返し語り継がれるけれど、明治以降の近代市民としての山本長五郎の社会運動家や実業家としての活動についてはほとんど語られない。かれの市民的成熟の過程はトーブさん的な「時代」の転換を一人の人間が経験するということですけれど、歴史記述はそちらには踏み込まない。歴史の大きな流れの中で、個人は単一の役割を振られて、与えられた役割以外を演じることは許されない。そのように個人を縮減しないと歴史を理解できないのが人間知性の限界なのかも知れません。

トーブ 歴史というのは、もっと細かくて複雑なものです。地域や文化が違っても、日時を見ると横につながることもありますね。だからこそ、比較するためにも基礎的な歴史事実を知っておく必要は大いにあると思います。

***
ここを読んでいますと どっちのほうが正しいのか というような気持ちにはなりませんか?  トーブさんのように大きく分類すると 細かく見る視点に欠けるんじゃないかと。 たとえば清水次郎長の明治以降の社会運動家や実業家としての活動がほとんど語られてないというような。
しかし トーブさんは言います「歴史というのは、もっと細かくて複雑なものです。地域や文化が違っていても、日時を見ると横につながることもありますね。だからこそ、比較するためにも基礎的な歴史事実を知っておく必要は大いにあると思います。」と。

細かい所に入って行くためにも ぐちゃぐちゃにならないためにも 比較ができるようにするためにも 基礎的な歴史事実を知るということなんですかね。

さいならさいなら
《 2015.03.01 Sun  _  エッセー 》