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おたより

2月17日のおたよりの返事です。
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前のはね、筆者を当てる問題ではなかったです。文章への共感度はどうですか?という問題でした。筆者は種村弘さんです。職業は歌人?日本では五七五七七を並べれば、誰でも歌人になれますので、職業が歌人というのもヘンですが。次は「点鬼簿」です。憲子さんと私が知らない人がいたら、その人は有名人ではないわけですね。《二〇一二年点鬼簿》《天才にふさわしく、奇行の癖でも知られた。三月十六日、評論家・吉本隆明、肺炎により八十七歳で死去。この人は思想家というより、第一に「佃渡しで」の詩人だった。第二は、気風のいい啖呵で相手を気押す喧嘩上手。私を含めた全共闘世代では、吉本から沈黙のうちに「おまえら貧しいオヤジの脛をかじって学生運動をやっていることを忘れるなよ」と暗示されたことを甘酸っぱい記憶と共に思い出すだろう。四月三日、元自由民主党衆議院議員・山口シヅエ、腎不全のため九十四歳で死去。戦後民主主義を代表する女性代議士のパイオニアだが、私にとっては、東京・下町の「山口自転車」のお嬢さんだった。押上にあった「山口ガーデン
」には、立派なローラースケート場があり、下町の不良少年には格好の遊び場だった。五月二十九日、映画監督・新藤兼人、老衰のため百歳で死去。五百万円の制作費で作った『裸の島』(一九六〇年)は衝撃的だった。特に、殿山泰司と後に新藤夫人となる乙羽信子の夫婦役は光った。七月九日、女優・山田五十鈴、多臓器不全のため九十五歳で死去。元夫が『砂の器』の名優・加藤嘉だと知っている人は少ないだろう。十二月二日、俳優・大滝秀治、肺扁平性皮癌のため八十七歳で死去。「壊れたハーモニカのような声」を個性に変えた努力家だった。十二月五日、歌舞伎役者・中村勘三郎、急性呼吸窮迫症候群のため五十七歳で死去。銀座の薄暗いバーでウイスキーを飲んでいる姿を見かけたことがある。人間好きで色っぽい人だと思った。十二月十日、俳優・小沢昭一、前立腺癌のため八十三歳で死去。今村昌平と組んだ『豚と軍艦』や『エロ事師たちより・人類学入門』の人間臭いというより、スケベったらしい演技は絶品だった。二〇一二年も、殺したい奴ほど生き残り、惜しい人ほど亡くなっ
た。本地垂迹。合掌。》これはね、佐野眞一というノンフィクション作家が書いてます。みをぎ


みをぎさんおたよりありがとうございます。
前の文体論では挨拶言葉や妻の呼び方について 書いてありましたね。 
文章への共感度は ありました、はい。
筆者は種村弘という方なんですね。職業は歌人。有名な歌人。でも五七五七七と言いましてもですね わたしはなかなか並べられませんよ。 和歌をつくれる人にとっては いつでもどこでもやってることだからなんでしょうね。 私もよく 絵は子供の時からかいてます。絵描きが職業だとおもったことはありませんが どうして絵描きというのか。 そうか それを描けばお金をもらえる とすると 私は小さい字で 絵描きと書かなきゃ。言葉って よく考えたら おもしろいですね。

さて<二〇一二年点鬼簿> この点鬼簿という文字もはじめて出会いました。亡くなった人が言った言葉なんですね。
吉本隆明 天才にふさわしく、奇行の癖でも知られた。どんな癖なのかしら。「おまえら貧しいオヤジの脛をかじって学生運動をやってることを忘れるなよ」と沈黙のうちに暗示されたことを甘酸っぱい記憶として全共闘世代は思い出すだろう、と。
ええっと、あの頃の全共闘の人たちにこういうことを 言っても どなりかえしてたやろなあ。沈黙のうちに暗示するなんて どういうことをするんやろ。 吉本ばななのお父さん。気風のいい啖呵で相手を気押す喧嘩上手、いいなあ喧嘩好きですぐ負けるより気押すほうがいいもの。一回でもそんなふうにやってみたいわ。

山口シズエ、ええと聞いたことあるんだけど 市川房江がじゃまして思い出せない。あのしわくちゃの市川さん、大好きでした。選挙のときは入れてたなあ。あ、ちゃいます、山口シズエさんのことよ。今思い出しました。
娘さんは評論家なんですか。あの方がつかってるクリーム高いんですけど、顔ぴかぴかです。 まだこんないいクリームで顔を甘やかしちゃいけないとがまんしてるんですけど。そろそろですよね。いつまでもがまんしてたらいかんでごわす。 山口さんはたしか高齢でこの娘さんを生んでいます。   
国会議員にお手紙でそっと「ご注意申し上げました」とけんかなどしない人だったと思います。  やじとか暴言とか「言ってやってくださいよう」「もっと紳士に淑女にやっていただきとうございます」って。 この方も市川房枝さんも堂々として うちのお母ちゃんも婦人会でこんな感じやったんかなあ。げんきげんき。 戦後女性は大分解放されて 強くなったって言いますけど 「まだまだでございます」と静かにおしとやかに言って下さいませ。 「時計の振り子が左から右にいってそれから真ん中当たりに行くまで みなさん がんばりましょう。上品にね。」 そんな声が聞こえてきそうですが。 付け加えますと市川房枝さんはイッセイミヤケでかっこよく決めてました。

映画監督 新藤兼人 百才 映画は百才でもつくってたんですか?と聞きたくなるくらい現役の監督さんでしたけど。 妻の音羽信子の「百万ドルのえくぼ」はうちのお母ちゃんがよく言ってたんだっけなあ。 『裸の島』は夫せいが自分の映画のようにいう映画。 水を山の斜面に「こえたご」でかついでいくシーン 私はじっと見てましたよ。 親がバランスとりながら かつぐ姿を見てましたからね。 これってむずかしいんです。 わたしはかついだことがありませんが うまくかつがないと ぴちゃぴちゃはねて こえがはいっていると 無惨ですがな。 腰がしっかりしてふんばってないと。 音羽さんは ちょっと ちからの入れかたが きゃしゃというか。 夫せいはそんなとこは見てなかったでしょう。 えんえんと同じ動作をして 水を運ぶシーン 感心してました。 いまね 「こえ」という言葉も子供は知らないと思うな。 あ、におってきた。自分の思い出話のコーナーじゃないんだから、すんません。

山田五十鈴、ベルさん、さがみちこ(でしたっけ?)のお母さん。五十鈴ってこうして書いてみるときれいな音のする名前ですね。 母がこの女優さんのことを美人だといったのかな、わたしは若尾文子のほうがよっぽど美人だと思ってました。結構ガラガラ声でしたね。 きっとタバコの吸い過ぎでしょう。(勝手に決めるなって) 私はまだ子供で美人の範囲が狭かった。さがみちこは嵯峨美智子と書くのかも。 この人も女優さん。銀狐のような えらい すごい美人でしたねえ。 色白で面長で唇が独特。 岡田真澄ともうわさがありました。 芸者役なんかしたら 色っぽいことこの上ナシ。 美人薄命を絵に描いたような人でした。 こんなふうに芸能情報はまかしといて、というくらい雑誌は読んでました。 今は歯医者さんに行った時ぐらいかな 読むのは。 だかあまり知りません。 五十鈴さんの元夫が加藤嘉 この人が 嵯峨美智子のお父さんかしら。『砂の器』の名優。ええっと『砂の器』が松本清張原作で『砂の女』が安部公房原作。間違えましたよね、前に。「砂の」がはやってたんですかねえ。どっちが不条理映画でしたっけ?メモ帖もあてになりません。

大滝秀治 「壊れたハーモニカのような声」よかったなあ。いまが二〇一五年だからもうそんなにたってるんですか、ほんの前だと思ってたのに。 高倉健と共演したのが最後だったんですよね。その高倉さんも亡くなった。

中村勘三郎、勘九郎坊やがこんなに早く亡くなるとは。息子が跡を継いで2人 やってますね。 歌舞伎役者はおじいさんやおとうさんの名前を引き継ぐでしょう。 この人の場合はあの名優であるお父さんの名前を引き継いだんでしたっけ。 名子役でねえ 歌舞伎役者は子役から始まるようですが その中でも とびきり光ってたんでしょうね。 五十七か、でも小さい時からすると五十数年もの長きに渡っての役者人生だったということになりますね。「銀座の薄暗いバーでウイスキーを飲んでる姿を見かけたことがある。人間好きで色っぽい人だと思った。」そうですか。

小沢昭一 今村昌平と組んだ『豚と軍艦』『エロ事師たちより・人類学入門』の人間臭いというより、スケベったらしい演技は絶品だった。
この人の思い出はね ラジオ。夫せいと東京に車で行った時、小沢昭一のディスクジョッキー。でもただスケベったらしいんじゃなくて、いろいろ知ってて、落語家のようでもあり。 植草甚一がどっかで出会ってたような気持ちにさせられる人。

さいならさいなら  
佐野真一というノンフィクション作家が書いたのですね。その後もこの作家は「点鬼簿」書いてるんでしょうか。






《 2015.02.19 Thu  _  ちまたの芸術論 》