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おたより

Sちゃんからの手紙です。1985年です。

暑い日が続いています。 皆が帰って夏もやっと終わったと気持ちの上では思っています。
ブローチの止メ金ありがとう。包んで有った花が(花の模様の包み紙)なぜかあなたの気持ちを現しているような気がしたのは、手紙のせいかしら。
 今無理してあわてなくても、もっと落ち着いたところで又考え直しても間に合うと思うよ。 もっているものはユニークで面白い物が沢山有ったし ただアクセサリーに向かう姿勢が作品と同じでユニークなのかな。 あなた一人ならよかったのに いっしょにいる人たちが多いから 大勢を巻き込みすぎてると思うし あなた自身が人からどんな風に見られてるか気に止めた方がいいと思う。 文章を書く人だから、文章のイメージであなたを想像してるから イメージを壊すわけにはいかないと思う。 文章とあなたを見た時の雰囲気とがいっしょにならないと本物にはならないと思う。 私はあなたと身近に居るから なにをしても あなたならやりそうだと何でも受け入れてしまうから。
 ずっと続けるには、やっぱり整理して最小限のところで頑張らないと。間口を広げっぱなしにするとまとまらなくなるかもしれませんね。
 私があなたの文章からのイメージでは、ハイジみたいなのかな。 大人のハイジの感じで頑張ってください。 他人からのイメージで自分の身の廻りの作りをするのは簡単なことかもしれませんよ。
 いなかに帰った時の事を書いているのでも、お母さんの結びつきよりお父さんとの結びつきの方が強いのですね。なぜか他の人なら母との方が強い気がするのだけれども。
あなたの兄弟は女程ひっつかないのかしら。 わたしたちは三人姉妹だから何をしても遠慮らしきものは影をひそめています。こっちからの頼みも簡単だし 頼まれる方もごく自然に使われているから やっていけるのかも分かりませんね。 こちらに妹たちが帰っても気楽になれるのかもしれませんね。
 それと子供たちと遊んでも、今まではちっとも気が付かなかったのだけれども、体力が落ちたというか限界が分かったような気がします。子供と同じペースで遊べるのも来年でおしまいにしなくちゃ。 後は私までひっぱり込んで遊ばないようにしてもらわなくてはね。 子供と遊ぶのは身体を使わないと子供たちは面白くなさそうだし。つい先頭になってしまうから、後でバタッという感じなります。 今年は二回 浦に舟で連れて行ってもらって、昼から四時頃まで海につかって 岩場に子供を連れて行って貝を拾って 岩と岩の間にちいさなさざえの居る所を見つけて 子供たちに取らせてやったりして。 みんな なかなか海から出ることをしないから 夕方になると 陽はかげるし 足がしびれてくるのが分かるので さあ帰ろうで海から出て歩くと 足があやつり人形のようにカタカタいっています。  年をとる事は自覚から始まるのだと思います。
 これが私の夏の終わりです。
 では皆様 まだ残暑が続きそうです。 お体大事にね。
 
                 かしこ 
                  S
 ***

Sちゃんおたよりなつかしく読ませてもらいもらいました。
夏休みにわたしたちも子供と一緒に行かせてもらったことがあるのですが、受け入れてくれるSちゃん側は大変だったね。そのことにあらためて「ありがとう」と感謝の気持ちでいっぱいです。
k屋のおじさんが舟で浦海に連れて行ってくれましたね。そこはとてもきれいな浅瀬の海で
砂が見え、自分の足が見え、ヒトデや魚、変わった海の生き物も見え、子供たちはいつまでも水中眼鏡で海の中を驚きながらのぞいていました。おにぎりやえびの焼いたのを食べさせてもらいました。 その間おじさんは砂浜の小屋のような所で寝そべっていて。
Sちゃんは子供たちに海のいろんなものを見せてやりたいと思ってたんだろうな。
こんど子供らにあの時の思い出を聞いてみたもんだと思います。 あのYがよめさんにそんな話をしてやったらしく、わたしが島根の話をすると、よめさんは「いいところなんだってねえ」と言ってました。あれはいい経験だったと思います。Sちゃんたちのおかげでね。
いつごろまでSちゃんは 足をカタカタいわせながら そんなことをやってたんだろうね。
隠岐島にもつれてってもらいましたね。島には信号というものがなかったね。おおきな樹の下で写真をとって。末っ子のRがまだ幼児のころで、あいつをおっかけるのが大変で、私はふらふら。そういえばあいつはパンツが海水でずりおちて、みっともなかったですねえ。 今は「おしゃれ命」ってかんじですけどね。 わたしはオニキスのとれる(石)隠岐島、ロシア人の末裔がいる話。(これが美人なんだ。夫せいがうれしそうにその美人を見てたな) そしてやっぱり海がすばらしく澄んできれいだった。 隠岐島にはSちゃんの妹さんがいるんですよね。 三姉妹とその子供らとわたしたちとで、あの時は大変だったろうな。考えてみたらSちゃん、足ガタガタもいいところだったね。ごくろうさま。

ブローチの話、考えてみれば、私はあの頃も今も「思いついたらやってみる」、このことはずっと同じですね。 Sちゃんからしたら「この子何をきわめたいのかなあ」と思ったんだろうね。
赤瀬川原平の言う「額縁からあふれ出た数々の試み」の一つだったんだけど、その頃は
このアクセサリーの行方は、あまり考えたことがなかったので、かといってエッセイなども書いていたけど、それもただ書いていたのでした。ピカソは「やりたいことをどんどんやれ」とその作品はいってるようで、私もそうしょうとしていたのです。やってることの行方を考えていたら、もうとっくにやめてたでしょうね。だってそのことが「中途半端」の思考につながると恥ずかしくてやってられません(そう思うこともあったけど)。 その頃の「トマソン」はね、(覚えたばかりだから使いたいインだな、これが)「一つの事に夢中になって、勢いづいて、この線で行くと世界一!と自分で思ってる。しかしその頂点ですーっとすきま風が入ってくる。そこが移行のとき。それはとりあえずおしまいにしよう。 次はもう来てるぞ。そしてそれに夢中になる、それからは同じ方向に進む。 これがラセンになって わたしは そういう成長をしている」 とこうなんですよ。 有名になっていればこういうことを言っても、かっこうもつきますがね。 ラセンにはめこまれた作品の数々、このステージで登場しますのでよろしくお願いします。 ラセン台風の目を持たなかったことがよかったのか、そうでもなかったのか。 台風の目は、しかしありましたよ。 このわたしの家族です。 もう大変な家族ですよ。 Sちゃんのようにあやつり人形よろしく足はガタガタ、何度かバタン。 そこから「えいっ」とひもつきで飛び出すも、またもどる。 これの繰り返しだったんじゃないかと。 だけど作品、エッセイなど残していますので、みなさんに見ていただこうと。 品質は「保証書無し」で申し訳ありませんが。 Sちゃんはパソコンが嫌いになったんだよね。いいですいいです。

おたよりおまちしてます!  かしこ


《 2015.02.04 Wed  _  ちまたの芸術論 》