『植草甚一コラージュ日記』の続きです。
早く寝たのに十一時までフトンの中にいた。(よくある話です) 「青春と読書」の掲載誌を受け取ってから渋谷にいこうってわけですね。鈴木哲介さんを淀橋病院にお見舞いに。
渋谷の玄誠堂で八冊、巽で二冊。玄誠堂主人も病気。ギャラリーワタリ、SOTO展エハガキ8枚買う。(こんなに買い物にばっかりつきあってていいのかしら)結構今日は歩いてますよ。ニューヨークで買った本のダンボールが七個(すごい)山積みになっていたのを開封。たいていが忘れていた本なので古本屋に行くよりおもしろい。(パラパラと読みたい)(しかしおんなじようなブルブル絵気に入ってるんやなあ) ギャルリーワタリで植草さんは展覧会をしてる。(ブルブルメモ用紙があったら買うなあ)(のりのりメモ用紙、雑貨のアイデアを出したつもり) 朝日の原稿手が出ない、古本屋三件回った後でも手が出ない。ポエムでコーヒーを飲んだんだよ、しかし。
植草さんとこうして高平さんのようにいっしょに行動をともにできるのは(だれがやねん!)(ハッとアイデアがわいてきたり、そのリズムがわたしにはいいんだんなあ)幸せです、はい。(このところコーヒーは欠かせません)夫せいにいわせると「それはコーヒーとはいわない」らしいんですが、長い間心臓が「ブルブル」するので飲んでなかったんです。 いままででも私は結構思いつき人間だったんですが(どういう人間なのだ?)こうして植草さんについていってると、「真面目にパラパラして思いつこう」とこうなるんですよ。真面目にですよ。 後になって思ったんですが、植草さんという人の言う「したくないことをしない自由」というのは、文字通り受け取っていいのかなあ、と。「したくないことをしない自由」けっこうむずかしいですよ。ニューヨークで、なにかそんなことを学んだのかもしれないし。「リラックスして生きる」も、ジャズの本場で学んだのかもしれないし。したくないことを子供の頃からしてる人はこんなこと考えないんじゃないかなあ。日本人は気にしいだしね。リラックスをとても求める植草さんって、あの時代どこか窮屈でしょうがなかったんじゃないかなあ。(まあ、自分のこと考えるとそうなるんですけど、おかしいかなあ)(したくないことに敏感な人かも、とか)あっすんません、妄想にふけっていました。