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おたより

きょうは、友達が最後まで書いて来た手紙を読んで、おしまいにしました。そしてゆっくりいろんなことを思う日にしますね。
今頃はメールが多いですね。そんな時代が来るまでは手紙やはがきで、だしたりもらったりでした。母からの手紙がいちばん多くて、それをゆっくりちゃんと読むことをしないままにしていました。母はわたしの結婚のことを心配し、その手紙は毎度長いのです。そして書いてあることがだいたい同じなのです。というので、「またか」と思って、ちゃんと読まずにきたというわけです。母はもういません。それを今頃になって少しずつ読みかえしているのです。天候のことからはじまって、畑の作物の出来具合にいき、結婚をはやくして、自分たちを安心させてくれという文面に移ります。  このように親の手紙や友達の手紙や自分の日記や絵を捨てずにおいています。そしてときどき読み返します。今でもつづいている文通もありますが、一人や二人です。長く文通を続けた相手はこれも二三人ですが、あの世にいってしまいました。
「手紙というもの」は不思議な数枚です。それが回数を重ねると、なんていうんですかねえ、大切だし、なつかしいし、なんですよね。その時がそこにあるからでしょうか。それにこれらは家族には見せなかった物語もある。なんですよね。見たい?見せませんよう。
「勝手にアップしたりしませんよう」死んでしまった友達に言っています。長い手紙には
ともに歩んで来たような何かがありますね。
《 2015.01.25 Sun  _  ちまたの芸術論 》