『植草甚一コラージュ日記』の続きです。
植草さんのこの日記、毎回入っていくとき、大丈夫かなあ、やっていけるかなあ、と私は思う。つまり上昇志向(しこうという漢字あってますか?)が働かなくなるというか。どっかで自分はこの人を知らないまま小脇にかかえてるだけでよかったのかもと。長新太のときもそうなったんだけど、これはどういうことかしら。で、入っていくと、安物の万年筆がたくさん出て来たって? それを棄てないでしまっておくなんてケチの証拠だ。 いやあ、言ってしまいそうなことだ。 だれがって?私も。 あなたもそうじゃありませんかあ。 この人、結構な仕事をしてるのに、目の位置が低いというか。(こんな日本語あったっけ?)朝ご飯のおかずでいえばたくわん。 どんどん奈落の底に沈んでいく不安感もなければ、どんどん空に向かうというのでもない。 ガサゴソガサゴソ枯れ葉はどこへいくのでしょう。 万年筆は棄ててしまう前に使っていって、ダメなやつはそこで棄てる。 この思考形態は凡人の私と似てる。 だけど、植草さんは男で、「ぼくらには植草甚一がいないとだめなんだあ」という植草ファンも男で、これは男だけの、女にはわからないあれなんだ、きっと。なんせ男だからなあ。 ヴァレンタイン・マニュアルを(それはなんですか?)パラパラやりながらネタさがしを始める。ネタさがしはこういうふうにやろう。 原稿を読み直したらつまらないので最初から書き直し、(つまらないが原稿のよしあしのきめて) 渡辺さんがくれた大きなイチゴにふっと喜ぶ(けっこう物に喜ぶんだあ)。 ぺらをちびちびわたす(こういうふうな渡しかた)。 それからバスで書店に行く。 これって植草先生「雑学の法」なんですかあ。 12時になっても「太陽」の続きを書く気がしない。 つまり書く気になかなかならない時はあるんだあ、「書く気になる」ために散歩に出て、コーヒー飲んで、書店に立ち寄る。ふむ。それでもね。絶望的だね(私もほっとするその絶望)。 植草さんは案外私たちに、原稿をなんとか書き続ける方法を、かなり実践的に教えてくれているのでは? 「たくわん」ではなく「たくあん」だけど、お茶漬けの味はあきないし、そこにそっとついてる黄色いたくあんはまたよし(なんのこっちゃ)。植草さんを小脇にかかえていたいのは、このせいかしら。 しかし明日になるとまた、植草さんでいいのかなあ、と思うだろうな。そうか、わたしは女だから、無理してるのかもしれないぞ。 哲さんのときも無理してつまさきだちのまま、読み終えたなあ。