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1ぺーじ

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『アフガニスタン・命の水を求めて』の続きです。
1ページの文面と写真、文章が後半見えにくいので(それでなくても見えにくいのに)書きうつして次のページにまいります。

現地の地層は、20メートルも掘らぬうち、巨礫の層に突き当たる。牛くらいの」大きさの石が重なると、とてもツルハシでは無理である。苦労に苦労を重ねて、結局、削岩機で巨石に穴をあけ、爆薬をつめて粉砕する方法が最も奏功した。我々は、ロケット砲や地雷の不発弾を見つけては、火薬を搔き出し、「平和利用」した。また、良くしたもので、内戦中爆破が得意であった元農民兵(ゲリラ)などもいて、大いに力になったのである。
 日本人青年たちは地元の若い職員数十名を率いて、作業地をあっという間に拡大した。
2000年十月までに274カ所、翌2001年九月までには660カ所となり、その九割以上で水を出した。この活動は、後に述べる米国の「アフガン報復爆撃」中も休みなく続けられ、2004年には1000本を上回り、数十カ村の人々が離村を避け得るという大きな仕事に発展した(詳しくは『医者 井戸を掘る』[石風社刊]に記している)
 だが、飲料水があるだけでは生活できない。ほとんど自給自足のアフガン農村で、農業ができないのは致命的である。現金収入を求める出稼ぎ難民は少しも減らなかった。中には傭兵として、内戦の矢面に立つものも少なくなかった。そこで、PMS(ペシャワール会医療サービス)としては、元来のアフガン農村の回復こそ健康と平和の基礎だと唱え、砂漠化した田畑を回復する努力が行われた。ダラエヌール渓谷を中心に、灌漑用水を得ることが大きな目標となった。
 伝統的な灌漑用水路「カレーズ」の復旧が手がけられ、40本のうち38本を再生した。これは地下水を百数十メートルの横穴で導き出す一種の横井戸で、偉大な威力を発揮した。診療所周辺の砂漠化した田畑が短期間でよみがえり、数千家族が帰農するという奇跡も起きたのである。このとき、指示をだした私自身が驚くほど、水の恵みの偉大さを知った。
 さらに、カレーズも限界があると見た我々は、直径5メートル以上の灌漑用水井戸を手がけ、さらに数十町歩を緑化した。渓谷は少しずつ緑を取り戻し、帰農する村人がさらに増えた。  
 それでも、今度は地下水位が低下し始め、この旱魃が並のものでないことを思い知り、危機感が深まっていった。ーー

***

きょうは結構の字数でした。漢字もわからなかったり、勉強になります、はい。
こういう事業をすすめていくには援助資金は不可欠なんですね。 PMS病院も安定させなくてはなりません。 多くの人々の支援がありました。 このような状況にあって、タリバン、反タリバンを問わず、こぞって協力をした、とあります。 巨礫は牛ほどの大きさがあるといいます。 ロケット弾や地雷を見つけては、火薬をかきだし、その巨礫を粉砕したとあります。 紛争に地での「平和利用」なんですね。 内戦中爆破が得意であった元農民兵(ゲリラ)なども大いに力になったりして。 自国の困難にみんなで立ち向かっています。 それは米国の「アフガン報復爆撃」中も休みなく続けられるのです。 井戸は増え、飲料水は確保できるようになります。 しかしこれだけでは農民たちは食っていけなかったのです。 そこで砂漠化した田畑を回復する努力がなされます。 土地を緑化して田畑をもう一度よみがえらせる。 水の恵みの偉大さを知ったといいます。 そして農民たちがその土地に帰ってくるようになるのです。 それでもまだまだ旱魃はすごかった。
哲さんと多くの人々の、試行錯誤の灌漑用水を得るための必死の行動、読んでいる私たちも熱くなりますね。


《 2014.11.29 Sat  _  ちまたの芸術論 》