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1ぺーじ

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これは安藤 博作『麟角喩(りんかくゆー犀の角のようにただ独り歩め)』の中の1ぺーじです。これは安藤 博、
たなかよしゆき、鳥越ゆりこなどが作っている同人誌『タータタタタ45号(最終号)』の中にありまして、結構長いんです。わたしはこの人のかくれファンで、「ごろんと横になって読むとほんまに、おかしいてええんよ」という位置付けの文を書いてくれる人なんですよ。「まじめやけどおかしい」「ひくい目線」みたいな。でもこの最終回、原発の現場に入り込んだような、すごみのある、「この人らのために取っとかなあかん仕事ってあるんかも」と、かなり誤解をうけそうな思いがしてきますが。わたしは原発反対ですけど。じつはこの話、まだ途中なんです、わたしにはよくあるはなしなんですが。
はなしは変わりますが、若い頃、大阪の「てんがじゃや」という駅に下りた事があるんです。そこは「かまがさき」でみるような人がけっこう駅で行き交ってたんです。ぼーっと歩いてると、ひとりのおっちゃんがわたしめがけて、まるでその手でなぐろうとするかのように近づいてきたんです。わたしはさっとさけて、そのまま歩いて行ったんですが、しんせきの家に行って驚いたんです。鏡にうつったわたしの顔です!鼻の上にはながべちょーっと、ほんまにきたなくついているではないですか!「今この家でおねえさんにであったよなあ」なんも言わんかった。言えんよなあ。このはなでわたしは電車に乗ってたんよなあ。てんがじゃやという駅で出会ったあのおっちゃん。「いやーあ!」このことに感謝というか、「あのおっちゃんはこのきたないもんをわたしのはなからはがしてやろうと思ってくれたんやなあ」と思い当たるまで、長い事かかったのでした。いまでも時々思い出します。「やっぱり、あのおっちゃんのような人がかけめなしに、ほんまにやさしい人なんやわ」とね。うら若き乙女のこの惨事。でもあのときにわたしは人というもののひとつの大事な形というのか、みせられてはいるのですね。上から目線のときもあるわたしですが、かたちは見せてもらっているんです。そんで、こんな安藤 博の1ぺーじを読んでいても、あのときのことを思い出すんです。

《 2014.10.05 Sun  _  ちまたの芸術論 》