2024.05.14
20240514
だから何? という話なのですけれど、 “損ブーム” というムーブメントを起こせやしないものか、と、一時期みうらじゅんが提唱しておりましてね。最近はあんまりこのブームについて言及することはなくなったように思いますが、大変不遜ではあるものの私もずっとこの「損」というキーワードはぼんやりとたいせつにしていましたので、「みうらじゅん、いけいけ!」と思っていたのですけれど。
で。この “損ブーム” 。読んで字の如く「みんなでもっと損してこうぜ!」ということなのですけれど、では何故もっと損をしていったほうがよいのか、というところについてはここでササっと書けるほどまとまってもいないし、そもそも一言で言えるようなものでもないのかもしれないのですが、じゃあ、なんでこんなことを書いているのかと言いますと。
先日、まぁ、いわゆるちょっとキャラクターの濃い女性と飲食店の席で隣り合わせになりましてね。その方の言動をこっそり観察していると「あぁ、この方は少しでも損をするのが嫌な人なんだなぁ」と思ったわけであります。どういうことかといいますと。
席を案内される順番は少しでも早いほうが得。受けられるサービスがあれば全部受けたほうが得。でも、そんな自分を店員さんや周囲の人たちに「やっかいな人だな」と思われるのは損。だから「そういうことじゃないからね」と周りにアピールしたほうが得。・・・なんだか抽象的ですけれども、そういう感じだったわけです。
そして、その場にたまたま居合わせただけの私がこのような判断を下すのはそれこそ不遜ではありますが、たぶん、この方は色々と辛いだろうなぁと。勝手にそんなふうに思ってしまったわけでした。
一方、私が “みうらじゅん” と並んで偉大だな、かっこいいな、2人はそっくりだな、と思っている “養老孟司” が、「はぁ、書くことない~」とたまたま開いた『ほぼ日刊イトイ新聞』のインタビューコーナーでこんなことを言っておられました。一部を抜粋させていただきますと、大体こんなことです。
・・・最近、日本のGDPがドイツに抜かれて世界4位になったというニュースが
流れていましたが、僕は「これはそんなにマイナスなことなのか」ということが引っかかりました。日本のGDPがここ30年間伸びていない理由は「自然を破壊する公共投資をしなかったから」だと、はっきりしているからです。高度経済成長期には、経済発展のために、これでもかというほど自然をいじりました。それを、みんなが「嫌だなあ」と感じたんだと思います。その「嫌だなあ」の結果、GDPが伸びなくなっていったんですよ。日本の実質賃金が上がらないのは、GDPを上げるための自然破壊をしてこなかったぶんのマイナスを、国民全員が背負っているからだと解釈できます。つまり、GDPが下がっている間の日本は「全員が損してもいいから、これ以上無理をして発展しなくていい」という選択をしたのではないかと。(『ほぼ日の「老いと死」特集|養老孟司×糸井重里』より一部抜粋)
すこし極論に思えるかもしれませんが、個人的には「なるほど」としっくりとくるところがありますし、単純に昨今の状況を理解する思考法としてとても気が軽くなります。
はたまた、昔何かの本で読んだ江戸時代のある特長として、誰か困っている人がいるとその町なり村なりのコミュニティーはその問題を歓迎したのだと。たとえば、誰かが借金をしていたとして「よし、じゃあ、その借金を俺に肩代わりさせてくれよ」という人が必ず出てきたのだと。それはつまり「損をさせてくれてありがとうよー」なのだと。
まぁ、これもうろ覚えの話ですし、それにしてもやはり極論だとは思いますが、それでも、養老さんが話しているように、日本人のなかには「損してこーぜ文化」が他国と比べても無意識に根付いているように思えます。
いやまぁ、だから何?、ということなのですけれど、ことほどさように、私はどちらかといえば「損するくらいでいいんじゃない?」なタイプだと思ってはいるのですが、それでも、あの日、飲食店で隣り合わせた女性のように「損したくねー」な気分になるようなこともやっぱりあります。それは、たとえば「このご時世、将来大丈夫か?」というようなある種の恐怖からくるものだと思うのですけれど、それでも、この “損” というキーワードはこれからもたいせつにしていきたいなぁ、と。今のところ「損したほうが得!」とまでは言いきれませんが、「損するくらいのほうがおもしろいんじゃね?」くらいは言えるのかなぁ、と、なんとなくそんな感じです。
◎【Today’s Memo】は平日の毎朝8時に更新。atelier naruse 代表・早川による、ちょっとしたエッセーのようなもの、です