2024.05.02
20240502
私がまだ独身だった頃。当時はフリーランスの編集者・ライターを生業にしていて、フリーランスであるにもかかわらず、私は大阪にあったとある編集プロダクション事務所に机を置かせてもらっていた。私からすれば拠点を持つことができるし、個人的に請け負っている仕事のほか、編集プロダクションが抱えていて社内だけでは人手が足りない、もしくは社内に適任のいない仕事を優先的に回してもらうことができた。編集プロダクションからしても請け負うことができる仕事の幅が増えるほか、特定の給料を払わなくても良い人材が社内にいるのはいくらか利点があったのだと思う。今の時代であればその是非が問われるようなことなのかもしれないけれど、いずれにしても、まだ20代の若者で実力も経済力も乏しく、それでもフリーランスでありたいと思っていた私からすればとてもありがたい環境だった。
とはいえ、他の社員のように給料がない分、私は人よりも多くの仕事をこなさなければいけなかった。休みなんてほとんどない。けれど、特に趣味のなかった私は仕事が趣味だったし、世間が休んでいる時に働くことも嫌いではなかった。たとえば、今のような大型連休の時は俄然ヤル気が出た。
シンとした誰もいないビルで自分の打つキーボードの音だけが響く。仕事はしていても、世間が休みだから電話が鳴るようなこともない。いつもは慌ただしい出版メディア、ITメディアの喧騒がなくなり、いつだって脳内を覆っていた焦りがほとんどなく、すっきりと落ち着いて仕事に取り組むことができた。
いつだったかのゴールデンウィーク。いつもであれば私だけの事務所に、私よりも少し若い男女の社員、私からすると後輩にあたる2人が一緒にいることがあった。彼や彼女はまだ新人で、どうしても仕事が追いつかなかったのかもしれない。前述したとおり、私は世間が休んでいる時に働くことが嫌いではなかったが、嫌いでなかった理由は、世間が休んでいるからである。そんな日に働いているというなんとなくの背徳感と、ストップしている社会をそれでも自分たちが静かに回している、というような優越感のようなものがあったからだ。きっと、後輩たちにもそういった感情があったのだと思う。
だから、お互いはお互いの仕事に打ち込んでいただけなのに、時間が経ち、しばらくすると他の人とは違う感情を共有することができている特別な仲間であるような、特別な感情がなんとなく生まれていた。
日が沈んで、しばらく経った21時ごろ。自分たちがいる事務所以外はもう真っ暗であることが分かる。なんとなく「そろそろ終わるか」となり、なんとなく「一緒に飯でも食うか」ということになった。私も後輩も自転車で大阪の街を走り回ったのだけど、ビジネス街であるからなのか近所の飲食店はどこも開いていなかった。すこし離れた商店街に入ってもそれは同じで、私たちは自転車を中学生のように漕ぎながら「嘘やろー」と叫んだ声がアーケードのなかで響いた。しばらく進んで、私たちはひとつだけ明かりがついていたチェーンの食堂でさほど美味しくはない定食をビールを飲みながら食べた。なんてことはないけれど、なんだかすごく楽しかった。
あれからもう20年近くが経って、後輩の一人は全く畑の違う職業に転職した。一人の後輩は、ちょっと有名な編集者になっている。私は私でやはり全く畑の違う仕事をしている。後輩たちはもう忘れているかもしれないけれど、私にとっては、ゴールデンウィークになるといつも思い出す、ちょっといい記憶なんであーる。
そんなわけで。みなさんも、どうぞ、すてきなゴールデンを!(※次回の更新は、連休明け5/7であります)
◎【Today’s Memo】は平日の毎朝8時に更新。atelier naruse 代表・早川による、ちょっとしたエッセーのようなもの、です