2024.02.08
20240208
特に書くことが思いつきませんので、ただの雑感になるのですけれど、私、“人間の世界は大袈裟でできている” と思っております。
はい? まぁ、そうでげすよねぇ。なんでしょう。大袈裟が世界をたのしくしているし、大袈裟が世界をつまらなくしている。いや、そうなんじゃないか。そんなようなことを思って、この “大袈裟” というキーワードが自分の中ではここ数年のテーマだったりする、ということであります。
ときに。大袈裟とは読んで字の如く、大きな袈裟のこと。袈裟とは、お坊さんが着ているアレですね。そんな大きな袈裟を着ているお坊さんの姿から「なにをそんな大袈裟な」といったように事実や実際よりも誇張して物事を語る、捉えるような意味になったということです。
そんな、大袈裟。みなさん。どう思われますでしょう。
たとえば、語源となった大きな袈裟。ありし日の紅白での、ありし日の小林幸子のように「もうほとんどセットじゃん」というような大きな袈裟を着たお坊さんが突如みなさんの前に現れたとしたら、どう思われますでしょうか。
その姿を見て面白いと笑う人、けしからんと怒る人、きっと色々な反応が出てくるのだと思いますが、お坊さん自身も、それを見る人たちにも、それが通常よりも大きな袈裟を着ているというシンプルな共通認識があれば、つまりは “大袈裟である” という共通認識があれば、きっと見る人、お坊さん自身、双方が面白い、興味深い、と感じるような気がします。
ただ、見る人たち、ひいてはお坊さん自身、どちらか一方でもそれを大きな袈裟であること以外の、たとえばその大きさを何かの象徴として捉えた場合などは、見る人の中に怒る人たちも出てくるでしょうし、もしかすると崇める人だって出てくるかもしれません。お坊さん側も、笑う人たちや怒る人たちを見て、やっぱり怒りだしたり、悲しくなったりするかもしれません。
はたまた、「小さかろうが、大きかろうが、まぁ、服でしょ」という人たちや、いわゆる通常の袈裟のサイズを知らない人たちにとっては、“大袈裟” を着たお坊さんが目の前に現れたところで、きっと、どうでもいいことだと思います。
と、ここまで書いて、ですから・・・といったような結論めいたことは今のところ何も書けないのですけれど、なんだかやっぱり “大袈裟” というキーワードの中には、世界の秘密を暴く鍵、みたいなものが潜んでいる気がしてしょうがないのです。
世の中で重要だと思われていることはすべて大袈裟であり、しかしながら、それらが大袈裟であることもまた重要なことではあるが、しかしながら、それらは大袈裟であるということを決して忘れてはいけない。
なんかどこかの偉人の名言っぽく書くと、たぶんそんな感じです。みなさん、どう思われますでしょう。なにをそんな大袈裟な。
◎【Today’s Memo】は平日の毎朝8時に更新。atelier naruse 代表・早川による、ちょっとしたエッセーのようなもの、です