●暮らしの"ピ"ント集 (第193回:2016/11/19投稿分)

暮らしの"ピ"ント集【今週の、社長の金(曜日の)言(葉)】

(第193回:2016/11/19投稿分)

 

――はい。facebookからこちらの『日記、猫か夫か。』にその舞台を移しまして、はじめての『暮らしの"ピ"ント集【今週の、社長の金(曜日の)言(葉)】』更新です。

 

同じネットの世界であるとはいえ、facebookとは違い、ここは積極的なアプローチをしなければたどり着くことのない非常にプライベートな場所ですから、「ここはひとつ大空に舞う鳥のように今一度その羽を自由に広げて思いきり好きなことを書こうじゃないか」。そんなふうに"公開場所の移動"という変化に対して何かしら意気込んでみたりもするわけですが、よくよく考えてみますと「facebookにこんなことを書いちゃまずいわ」といったような類の自己規制をfacebook上で行った覚えも特にはなく、やっぱり相変わらずのこうしたスタイルでだらだらと書き進めている次第です。

 

ただ。所変わって何も変わらないか、といえば、どうやらそうでもないようなのです。

ああ、私はfacebookというサービスにすっかり骨抜きにされていたのだな、そう思うのです。

 

facebookにあって、この『日記、猫か夫か。』にないもの。それは、"いいね!"システム。

 

言わずもがな、"いいね!"の数は、少なくともその数の方たちには投稿を閲覧してもらえた、ということです。もっといえば、全文を読んでいただけたかどうかは別だとしても、なんとなく投稿を目にしてくれた方の数も"リーチ数"というデータで分かります。

 

――いいえ。この金言は、たくさんの人に読んでもらっているから、と書いていたわけではありません。「せっかく書いているのに、読んでもらっている人が少なかったら書く意味ないじゃん」。そんなふうに思ったこともありません。私なんて所詮ただの私です。そんな私の書いた文章を読んでくださる方が仮に一人でもいてくれるのだとすれば、私は書きたい。ありがたいのです。

 

そもそも、この『日記、猫か夫か。』でのみ何かを書いていた数年前というのは"いいね!"だって、"リーチ数"だって当然ありません。いったいどれくらいの方が読んでくださっているのかなんて分かりませんでした。むしろ誰も読んでいない可能性の方が高い。それでも、私は書いていた。書いていたかった。

 

――それがどうでしょう。今の私は、ちょっと不安。あの硬派でストロングスタイルだった"私"という存在はその影をすっかり潜めてしまっています。

 

つまり、facebookからこちらの『日記、猫か夫か。』にその場所を移したことで、「誰も読んでなかったらどうしよう......」がにわかに発動しているではありませんか。

 

いけません。知らず知らずのうち、私は"数"という魔物に憑りつかれてしまっていたようです。

 

"数"は"勝ち負け"を生み、"勝ち負け"は"損得"という概念をもたらし、そして"損"をしないために、または"得"をするために再び"数"を頼るうち、やがて人は本来持っている身体性という名の本能を徐々に犯していきます。

 

"数"からすればとんだ言いがかりかもしれませんが、なんとなく、そんな気分です。

 

――では、どうしようか。

 

そうです。こういうときは原点回帰です。誰にも読んでもらえないかもしれない。まさにこの文章だって、この先、誰の目にも触れないかもしれない。それでも、いいじゃないか。お前は人気者になりたいのか。違うだろ。書きたいんだろ。書きたいことがあるんだろ。それを書けばいいだけの話じゃないか。そうだ、そうだった。私にはきょうも書きたいことがあるんだった。書き記しておきべきことがあるんだった。

 

 

息子が「クリスマス・イブ」を、「クリスマス・イ"ン"ブ」と言うのです。

しかも略して「イ"ン"ブ、だいすきー」とデパートで叫んだのです。

おとうさん、顔が真っ赤になっちゃったよ。

 

 

――うん。誰にも読まれませんように。

 


あ、現在公開中の映画『この世界の片隅に』は必見です。:早川やぁ!次郎