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モームさん

スキャン4755.jpeg『月と六ペンス』
 しかし、遂にチャールズ・ストリックランドに会えた時も、その場の状態では、辛うじて顔見知りになれたというだけのことで、それ以上には出られなかった。ある朝、ストリックランド夫人は私のもとに短い手紙を届けてよこした。看板、晩餐会をすることになっているがお客の一人が急に来られないことになったから、その穴を埋めてくれないか、というのだった。こんなことも書いてあった、ー
「前以って申し上げておく方がいいと思いますけれど、きっとそれは退屈なさいますでしょう。このパーティーは最初の時から前々面白みのないパーティーでございました。でももしおいでいただけましたら、どんなに有難いでしょう。それに、あなたと私だけで、ちょっとおしゃべりもできますし」
 招待を受けてあげるのが、隣人のよしみというものだろう。
 ストリックランド夫人が私を夫に紹介した時、彼はややそっけない態度で手を差し出し、握手した。夫人は朗らかに夫の方を向くと、ちょっと冗談を言ってみた。
 
「この方をお招びしたのは、私にも本当に夫があるってことをお見せするためでしたの。疑い初めていらっしゃったらしいわ」
 ストリックランドはいんぎんに小さな笑い声をたてた。内心ちっとも面白いとは思っていないのだが、さも面白かったと認めてやっているような笑い方だった。しかし、一言も口はきかなかった。新しく入って来た客の方に主人の注意は向けられたので、私は独り取り残された。やがて客も全部集まり、夕食のしらせを待つばかりの間、私は食堂へ案内する役を仰せつかった相手の夫人としゃべりしながらこんなことを考えていた、文化人というものは、短い一生をくだらない勤行に空費するために、不思議な創意を働かすものだ、と。その晩のパティーは、何故女主人はわざわざ客を招いたんだろう、何故客はわざわざやって来たんだろう、ご苦労さまに、と思わせるたぐいのものだった。全部で十人だった。会ってもお互いに無関心だし、別れる時はさぞほっとすることだろうとう。社交だけが目的の宴会であることはいう迄もない。ストリックランド夫妻は少しも興味を抱いていない数人の人に晩餐の「借り」がある、だから彼等を晩餐に招んだ、そして彼等は受けた。何故だろう?夫婦さし向かいの夕食にあきあきしたためか、召使いの休養を与えるためか、べつに断わる理由もないからか、晩餐の「貸し」をかえしてもらったからだろうか?

「この方をお招びしたのは、私にも本当に夫があるってことをお見せするためでしたの。疑い初めていらっしゃったらしいわ」と主人公のことを紹介する ストリックランド夫人
そうかもうここらへんから なにかがはじまっているのですね 

そんなことより当時のパーティーの習慣について 私は気にしているのでした。
主人公はこう考るのです、
「文化人というものは、みじかい一生をくだらない勤行に空費するために、不思議な創意を働かすものだ、と」 
「他家のパーティーに招かれた「「借り」をかえすために あまり興味のなさそうなパーティーをしたと」
そして色々な理由を考えてみるのですね。
『現代に生きるサマセット・モーム』この清水明さんのタイトルは 「人のやることはいまでも変わりないんじゃないかという」
この時代には女中さんがいたりして 女主人は料理を作る心配はなさそうですね
今だと持ち寄りというてもありますが 女は そういう世間話になりますね
作者はなにせ 男性 不思議がるのだと 
さてどういう展開になるのでしょうね

ストリックランドはちょっとイメージがちがいましたよ
「ストリックランドはいんぎんに小さな笑い声をたてた。内心ちっとも面白いとは思っていないのだが、さも面白かったとみとめてやっているような笑い方だった」
こういう場合俳優だったらどういう表情をするのかな 『現代に生きるサマセット・モーム』で映画の話が出て来るので

私は小説を読むとき 時としてこれがどういう展開になりそうなのかわかっていないことがあります
ま それが次のお楽しみっていうことで

上の写真はですねえ 世間で言う皿の上でのおもちです ことわざではございません


《 2021.02.20 Sat  _  読書の時間 》